【グッとくる!】最強のライフハック。それはユングの言葉

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ユング

初めに

カール・グスタフ・ユングは、心理学者で精神科医です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0

現在に多大な影響を与えた心理学者として、他にはジークムント・フロイトや、アルフレッド・アドラーがいました。

フロイトは、心理学の父とも呼ばれ、ユングも師事していました。

取り分け、ユングの考え方は、私の考え方と親和性が高いと勝手に感じており師事しています。

そんな、無駄に上から目線で怖れ知らずで身の程知らずの私が、その一部をご紹介いたします。

ご紹介するにあたって、原文に少し私の意訳を添えて…というか私の勝手な解釈も含まれていますが、ご了承下さいませ。

As far as we can discern, the sole purpose of human existence is to kindle a light in the darkness of mere being.

-カール・グスタフ・ユング- [原文]

我々にとっての、人生における目的とは、人が世に存在する理由を悟るため、暗闇に光を灯すことに尽きる。

-カール・グスタフ・ユング- [意訳]

「can discern」は直訳すると、たぶん「識別できるように」なんでしょうけど、「悟る」としてみました。そのほうが、なんかより名言っぽくてしっくりきません?

このように、私は英語力が乏しいので、たくさんツッコミを入れられるでしょう(汗)

まぁでも、だいたいの意味は伝わると思いますので、そんな感じでテキトーに進めます。

自分と同じ人なんてこの世に存在しません

誰かの足に合う靴も、また別の誰かには窮屈な場合がある。 ありとあらゆるケースに適用できるような、万能の秘訣などは存在しない。

理解ができない一人がいれば、その人を愚か者と見なしてしまう傾向がある。

自分自身が相手を理解できないことの理由に、相手を愚か者と見なすことはよいのだろうか。

すべての個人は、みな規格からはみ出していると言える。

誰として同じ存在はおらず、誰として代わりが効かない。

この世に同じ人は存在しません。

金子みすゞもいっていますが「みんな違ってみんな良い」なのです。

自分と違うというだけの理由で、誰かを否定するのは間違いです。

あなたも、誰かから「自分とは違うから」という理由で否定されて排除されるのは嫌だと感じるはずです。

例えば、誰かの発言が気に入らなかったとしましょう。

誰かの行動が気に入らなかったとしましょう。

気に入らないのは、その発言の一つです。

気に入らないのは、その行動の一つです。

それを除けば、その誰かはとても素敵な人かも知れません。

それを、一つの言葉や行動だけで否定してしまって、悪い人としてしまうのは、周囲に「悪い人とされる人」を大勢作ってしまうことになりかねないです。

あなたにも、過去に失言や、失敗があったかも知れません。

そのひとつで、人格や人間性すべてを否定されたとしたら、どうでしょう。

あなたは悪い人ではないはずです。失言や失敗を反省することができると信じています。

ダイバーシティという言葉があります。

他者との相違点、つまり「違う」ということに価値を見出すことです。

一つの会社を見ても、それぞれが役割分担をしていますね。

社会も同じく、それぞれ違う人が、さまざまな環境で共存しています。

それが、多様性です。

世の中の多様性を受け入れることは、自身が受け入れられることに繋がります。

そこに不可欠なのは、他者への理解と寛容さと尊重だと思います。

たとえ、どうしても気に入らないとしても、弾圧や排除をせずに、棲み分けることはできるはずです。

嫌いな誰かを弾圧したり、侵害したり、排除しようとせず、譲歩を試みたり、互いに帳尻合わせをしてみたり、距離を置いてみたり、棲み分ける方向で考えてみてはいかがでしょうか。

肩をぶつけ合うよりかは平和になると思います。

二人の人間の出会いとは、二つの化学物質の接触のようなものだ。
その時に、もしなんらかの反応が起きたのならば、それは双方に変容をもたらすのだ。

互いを良くするための化学反応が望ましいですね。

誰かに怒るより、自分を認めよう

誰かに対して腹立たしさを覚えたとき、それは自分自身を深く知る機会へ導かれたと考えよ。

我々はそれを受け入れない限り、それを変えることはできない。
非難することは、それを解放するどころか、むしろ抑圧させるだけである。

見当違いなアドバイスを与えるということは、危険な救済策だ。

それは、効果もなければ、ほとんど影響も及ぼさないだろう。 そして、単なるお節介で終わる事が多いだろう。

自身の事を、『まとも』だと信じて疑わない男性がいるなら連れてきてみなさい。

あなたのために、私はその彼を治療してあげよう。

誰かに対して腹を立てることってありますよね。

人は感情の生き物ですから、それは当然と言えます。

時には、怒ることも大切だったりします。

闇から光りへ。 そして無関心から運動へ。 感情がなければ変化など起こりえない。 人というものは、感情の生き物である。

ところで、誰かに対して腹が立った理由はなんでしょう。

腹が立つ理由には色々とあるはずです。

例えば、犬や猫が怒って怖い顔で威嚇していたとします。

その根底には恐怖心があるのです。

自身を脅かす相手に恐怖するから、怒るんです。

子熊を守る母熊の気性が荒いのも頷けますね。

例えば、私の料理にこっそりセロリを忍ばせられたとしたら、それが執拗ならば怒ります。

「怒ってるよ!」という態度を明示することで、今後、料理にセロリを忍ばせられることを防ごうとします。

怒りの発露も、その理由を自分自身でしっかりと理解することで、アンガーコントロール(怒りの操作)をしやすくなると言えます。

動物と違って人の場合は、怒りにはもっと複雑な理由が存在しているでしょう。

一つ例を挙げるなら、羨ましさとか妬みとかもそうです。

つまりは、自身の抱く妬みの気持ちを八つ当たりしているようなものです。

先程のTweetを例にします。

Tweetにあるように、自身の心を深く探ってみると、「自分もサボりたいんだ」という本音を導きだすことができます。

「真面目だと自認していて、そんな本音は不都合であるから封印していた」

それが明らかになります。

「本当はサボりたい」⇒「自分はそんなに真面目ではない」⇒「真面目であろうと無理をしなくていい」⇒「真面目ではない自分も許せるし愛せる」

そういった受容によって、自分を縛っていたものから解放されると、ずいぶんと楽になりそうですよね。他者へ対する八つ当たりもせずに済みますし、無用な怒りからも解放されます。

自身がなりたい「理想像」、それは理想像として掲げてもいいんです。

ただ、現状の自分を無理矢理に理想像に当てはめて、今の自分を押し殺すと無理が生じます。

「こうでありたい」⇒「自分は違う」⇒「そんな自分は存在しない」

こうなってしまうと、押し込められた自分は、どこかで思わぬ形で顔を出します。

理想的なのは、

「ああなりたい」⇒「今は違う」⇒「すぐには変われない」⇒「無理をせず少しずつでいい」

あるいは、

「こうなりたい」⇒「自分はそうなれない」⇒「でも、自分には他の良さがある」⇒「違うことに価値がある」

そう、前述したダイバーシティです。

あなたはあなたです。あなたの代わりは存在しません。欠く事のできない存在です。

あなたが存在するだけで、とても尊いのです。

子どもに怒っているとき、それは子どものため?自分のため?

子どもに対して、どこか直したいと思う点があるのならば、まずは立ち止まって深く考えること。

なぜなら、それが子供の問題ではなく、自分が改めるべき問題の場合もあるからだ。 真に子どもを思うなら、それを見極めるべきである。

子どもたちにとっての教育とは、大人の話ではなく、大人の普段のあり方によって教わることの方が多い。

大人の言葉と行動が伴っていないと、子どもに混乱や不信感を与えることと成り得る。

子育てって、本当に大変です。

子どもって、大人の予想外のことを平然とやってのけます。

浴室の洗い場の排水口を塞いで、そこにお湯をいっぱい溜めて、浴室のドアをあけた瞬間に大津波がザッパーン!

脱衣所だけではなく、廊下まで水浸し。

洗い場にお湯を溜めた理由を聞くと、「面白いから」

「面白いから」

アンビリーバボー!!!

でもね。子どもってそんなものです。面白いことは色々とやってみたいんです。

色々と試した結果をその目で確かめたいんです。色々と知って、経験したいんです。

振り返っていると、私が子どもの時も、アンビリーバボーな面白い事を散々やってきました。

ただやっぱり、廊下を水浸しにされるのは勘弁して欲しいです。

なので私は、説明しました。

「ほら、あんな所までビショビショ。」

「この床は、何で出来てる?」

「そう、フローリングは木で出来てる。」

「木って、水に濡れた状態で、そのまま放置していると、カビが生える。」

「カビにとって、水は栄養になる。住む場所である木と、栄養である水があるところに生える。」

「床に、びっしりカビが生えてるところをイメージしてみて」

「うん、キモいよなぁ」

「カビって、種類にもよるけど、身体の中に入ると病気になる場合がある。」

「カビは小さな粉になって、あちこちに飛んで行く。」

「それが空気と一緒に肺に入ったら、間違いなく異物になる。ご飯粒ですら、肺に入ったら大変。」

「そうなれば、ずっと咳が止まらなくて、すっごく辛い」

「目に見える範囲は、ワイパーで集めたり、布で拭くことで、乾いた状態にできる。」

「そこの戸棚の引き戸開けてみて」

「ほら、ここもビショビショ。」

「こうやって、開ける場所も拭くことができる。じゃあ、開けることができない場所はどうしよう。」

「戸棚の中のように、水は色々な所に入り込んでる。」

「そこは、濡れたままになって、カビが生えるかも知れない」

「この下の、隙間の中がカビだらけになってるところをイメージしてみて」

「うん、キモいよなぁ」

「○○(息子)が、カビを吸い込んで、肺の病気になるのはパパは嫌」

「パパも、ママも、妹も、肺の病気になるのは嫌」

「みんなが、咳をしまくって苦しんでいるところをイメージしてみて」

「うん、しんどいと思う」

「今回、1回限りなら、浴室暖房と電気ストーブを使って、一日中暖かくして、目に見えない場所の水を乾燥させられるかも知れない。でも、毎日毎日ビショビショだと、それは難しい。」

「床の水も隙間の水も全部無くなって、完全に乾燥した所をイメージしてみて」

「うん、今回はカビが生えないかも知れない」

「そこでだ。明日も床をビショビショにする?」

それ以来、息子は洗い場にお湯をためていません。

シミュレーションによって、至る所にカビが生えるビジョンを明確にイメージできるようになったことと、カビが体内に入ることの危険性を理解したからです。

怒声で押さえつけるより、理解してもらうことが大切なのです。

ただ、子どもは色々と試してみたくなるのです。

子どもには、できる限りのことを、試させてあげましょう。

結果を確認すれば、満足することは多いです。

その時、子どもの身に危険が及ぶことだけは止めましょう。

一緒ににシミュレーションして、危険性を説く必要があります。または、安全を確保して、似た環境を用意して実験するのもいいでしょう。

その際、頭ごなしに捲し立てるのではなく、ユーモアを交えて引き込み、子どもの知識欲やイマジネーションを刺激しながらシミュレーションするといいでしょう。

ロールプレイ(役割演技)による、疑似体験もいいでしょう。

あるいは、絵本や漫画を使って説明するのもいいでしょう。

私も、ドラクエやドラえもんなど、息子が興味をもつものを例に説明する事が多いです。

教育とは、教え育むことです。怒声で抑圧することではありません。

【オペラント条件付け】

レバー押しというオペラント反応と餌という正の強化子の間に強化随伴性を形成し訓練することになる。

尚、レバー押しの後に罰として電気ショックを与えると、当然ラットはその後レバーを押さなくなる。罰を用いると、動物は実験事態そのものを嫌悪するようになり訓練が進まなくなることも多い

オペラント条件づけ – 脳科学辞典 https://bsd.neuroinf.jp/wiki/オペラント条件づけ

【学習性無力感】

電気ショックの流れる部屋の中に犬を入れ、一方の犬はボタンを押すと電気ショックが止められる装置のついた場所、他方の犬は何をやっても電気ショックを止めることのできない場所に入れる。前者の犬は、ボタンを押すと電気ショックを回避できることを学習し、自発的にボタンを押すようになったが、後者の犬は何をやっても回避できないため、ついには何も行動しなくなり、甘んじて電気ショックを受け続けるようになった

学習性無力感 learned helplessness – gooヘルスケア http://health.goo.ne.jp/mental/yougo/017.html

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世界を変えるのではなく自分が変わること。そして自分が世界を変える。


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