思想掲揚の作法【履き違えた思想にばかりスポットが当たる】

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世の中には、多様なイデオロギーが存在する

初めに

炎上を避けたいと言いながら、今回も、煽り気味のタイトルでお送りします。

内容のほうも、あらゆる方向から叩かれる可能性がありますが、お叱りの声は真摯に受け止めたいと思います。

記事は3ページに分割していて、全ページを読むのにかかる時間は1時間以上です。

1時間あれば、ドラマ1本見られます。

本記事が、ドラマ1本分の価値のあるものであることを願っていますが…。

もしかしたら、退屈な内容かも知れませんので、右メニュー(PCのみ)か3ページ目のもくじの最後にある「蛇足のコーナー」をクリック(タップ)して、そこだけをご一読下さいませ。

思想の私的濫用、すなわちイデオロギーロンダリング

私のブログをお読みくださるかたは、おそらくニュートラル(中立的立場)な方が多いと思います。

それは、私が中庸を掲げ、特定の思想を無批判に支持しないことを表明しているからです。

とはいえ、私にもバイアス(偏り)があることでしょう。今後も、バランス感覚を失わないように、多様性と思想信条を掲げる自由を尊重すべく努めていきたいです。

特定の思想は、ニュートラルに位置する方々にとっては、馴染みの薄い、あるいは関心の薄いものかも知れません。

右翼とか、左翼とか、フェミニズムといった思想は、なんだか小難しいと感じたり、近寄りがたいと感じることも少なくはないでしょう。それらの思想を掲げる人の中には、時にすごい剣幕で罵り合う姿も見受けられることから、当然ともいえます。

イデオロギーとは、思想傾向、観念形態、政治思想、社会思想といった意味です。
様々なアプローチから、社会をより良く改善しようという試みのもと、それらの思想が掲げられています。

決して、個人的な私利私欲や、独善的な感情論に、それらを利用してはならないと感じます。

例えば、

  • 「○○の売り上げを上げたいから、うつ病に効くと謳って、サイエントロジー※1を利用してネットで広めよう」
  • 「牛乳が苦手だから、牧場にいる全ての乳牛解放を、アニマルライツ(動物保護運動)を利用して喧伝けんでんしよう」
  • 「政治家として支持率を上げたいから、ワクチンの危険性を煽って、反ワクチン運動の活動家と支援者を取り込もう。」

※1.サイエントロジーとは、L・ロン・ハバード氏が創設した宗教団体です。
「精神医学に身を置く医師が、スピリチュアリティーを否定して、偽りの薬剤治療で患者を殺そうとしている」という主張のもと、反精神医学や反精神医薬を掲げる運動をしています。標準医療への不信感を助長し、精神疾患領域の適切な治療を阻害する懸念があることから、患者の症状悪化を招きかねないといった危険性が問題視されています。

これらの例に挙げた主張は、独善的であり、到底世の中に受け入れられないですよね。

しかし、世の中には、イデオロギーを個人の感情を正当化するためや、私利私欲のために都合良く濫用らんようする人が存在します。

それぞれの思想や理念には、素晴らしい部分があるはず。それを個人の都合で身勝手に濫用すると、間違った解釈を広めたり、誤解や齟齬そご(食い違い)を生むことに繋がりかねません。
(サイエントロジーとアニマルライツと反ワクチンに関して、私は無批判に肯定する姿勢ではありません。って、さっそく思想の多様性を否定している感じでアレですけど…)

このように、思想を個人的に利用して、思想自体のイメージや評価を下げた場合、被害を被るのは誰なのでしょう。

それは、地道で真剣に活動を続ける、本来の思想を啓蒙している方々ではないでしょうか。

対立する思想よりも、味方のフリをしてネガティブなイメージを振りまく人たちの方が、よほど邪魔な存在だと言えるでしょう。

原発問題ひとつをとっても、人と人の間に大きな亀裂を生んだことによる弊害は、ことさら甚大に思えます。むしろ、一部では原発問題を利用して対立構造を煽っている様にも見えます。

従って、原発事故が生んだのは、健康被害ではなく、人間関係の崩壊による精神被害ともいえるのではないでしょうか。

ちなみに、ワクチンは低確率で重い副反応はあるにせよ、裏を返せばリスクは低く、非常にベネフィットの高い有効な予防医療であり、予防摂取には妥当性があります。

多くのことにいえるのですが、仮定での話を進めてばかりせず、現状でのデータや根拠や事実に即して判断することが重要なのではないでしょうか。そのデータも、恣意的に選り好みしない事が賢明といえます。

ネトウヨと呼ばれる人達

世の中には、右翼(右派)思想や保守思想という考え方があります。

右翼思想とは、保守思想や愛国心や国粋主義を含む思想です。

日本では「右翼」という言葉が、本来の意味である「フランス革命における王党派」とは違う意味で使われます。単に、「旧態依然の体制を重んじる」という部分が共通する事から使われているのだと推測します。

従って、保守という言葉からもわかるように、昔からの伝統や習慣を尊重し、従来の制度を重んじる思想なのです。

今では保守思想も多様化し、こと日本においては様々な解釈がなされるように感じます。

本来の保守思想とは「より良い社会を目指すため〝安定〟を支持する層」です。

革新〟を支持する自由主義(リベラルリズム)の対になる思想と言えることから、保守思想は、自由主義(リベラリズム)や社会主義(共産主義など)とは、しばしば対立することがあります。

そのため、反リベラル思想の立場という印象が強いですが、「保守左派」や「リバタリアニズム(自由主義右派)」など、リベラルに近い思想も保守思想の中には含まれているために一辺倒いっぺんとうに語ることはできません。

最近の右派の発言に多く見られる「自己責任論」などは、リバタリアニズムの主張に一致します。

保守思想は「日本の伝統を守る」という考え方から、ナショナリズム※2と親和性が高く、むしろ、そこを主眼とする人も多いようです。
※2民族主義や国粋主義のこと。
自国民が最も優れた存在だと信じ、排他的にそれを発展維持しようと行動する主義で、自国民の利益を第一とする考え方。

要約すると、保守思想とは、愛国心、伝統、国益、国防などを重んじる思想です。

その中でも、思想を成し遂げるため、「外国に対する武力行使を辞さない」という、強行的な考えを持つ人は「タカ派」と呼ばれる事もあります。

私は、保守思想の方々に対して、私はある程度の理解を示しているつもりです。

「伝統を重んじ、日本古来の風土や国民性を大切にすべき」という理論には妥当性があると感じます。(ただ、行き過ぎたナショナリズムやレイシストや強行的姿勢には、一切相容れることなく、私は眉をひそめます。)

一方で、そういった保守思想の人達とは似て非なる、ネトウヨと呼ばれる人達がいます。

具体的な例を挙げるなら、韓国籍や中国籍の方々など外国人に対する差別主義者が含まれます。

英語で差別主義者を意味するレイシストと呼ばれることもあります。

「私は国を愛するからこそ、我が国の脅威となり得る特定アジアの人種を弾圧し排除せよ」

このように、飛躍した理論で謂われなき外国人差別をする際に、愛国心を持ち出す人達です。

確かに、日本と韓国の間には竹島の問題があり、日本と中国の間には尖閣諸島の問題があります。他にも、日本とロシアの間には北方領土の問題があります。

国益を考えた場合、日本の領土は守るべきといえます。

「我が国の領土を他国に奪われてなるものか!」と愛国心を掻き立てることでしょう。

それは、十分に理解出来る事です。

ただ、それは国の外交や政治の問題です。

政治は国民の意思が投票に反映されるのですが、そこに「外国人に向ける憎悪」と「政治」は切り離すべきでしょう。

そもそも、ネトウヨと呼ばれる人たちが憎悪を向ける相手は、本当に敵対する人たちなのでしょうか。

国や文化の違いはあれど、友好関係を築けると私は信じたいです。

http://grapee.jp/4599

(こちらの動画、涙が止まりませんでした…(´;ω;`)ブワッ)

それでも、個人の好き嫌いはあるでしょう。残念なことではありますが、それは否定しません。

ただ、個人の好き嫌いを述べる際に、「これは個人的な話ではなく、国益と愛国心のもとにある立派な思想だ」と、主語を大きな後ろ盾にすり替えるのは、いかがなものでしょうか。

人は、大義名分や後ろ盾を得たら、気持ちが大きくなるでしょう。

気持ちが大きくなると、声も大きくなりがちですね。

大きくなったその声は、ヘイトスピーチ(憎悪に基づく発言)へと発展しかねません。

それは、真に国益を考えて、理路整然と問題解決に取り組む人たちの足を引っ張る行為ではないでしょうか。

相手を罵倒して嫌悪感情を募らせ、関係悪化や対立を煽る行為は、問題解決に繋がるのでしょうか。
ネトウヨと呼ばれる人たちが最終的に望むのは、国交断絶でしょうか。
それとも、武力によって特定の外国人をアジアから排斥することでしょうか。

感情的になっていると、「それも辞さない」と考えるでしょう。

それは、正しい選択ですか?もう一度、感情抜きで冷静に考えて頂きたいです。

ネトウヨと呼ばれる人たちは、真の保守思想の人たちに恥じないような、品行方正さが求められるのではないでしょうか。

これから、民衆を保守思想へ導く気概があるのなら、お手本となるような言動を心掛ける事が望まれるでしょう。

それが出来ないのなら、保守思想の看板に泥を塗りかねないので、偽りの看板は下ろすことをお勧めします。代わりに、嘘偽りなくレイシストの看板を掲げてみてはいかがでしょうか。

ネトウヨと呼ばれる人たちにスポットが当たり、「保守思想はレイシストなんだ」と世間に認識されることが、保守思想にとってどんな利益をもたらすのでしょうか。

何よりも、国や文化は違えど、我々と同じ人間に対して、呪いの言葉を発することは、相手を傷つけることであり、断じて許されることではありません。

そして、呪いの言葉を発する側も本来は健全であった心を蝕むように感じます。

それは、とても悲しいことですね。

http://blog.goo.ne.jp/gyokurin521/e/6118d2e7f5dcc895399fcc615a5e83c4

主語が脳には分からないので、口から発した言葉は
脳は自分の事だと理解してしまいます。

人の悪口などを言ったりしても脳が「誰が~」という認識が出来ないので、脳はそれを自分自身を悪く言ってるように判断してしまうのです。

カウンターと呼ばれる人達

レイシストに対抗する人達をカウンターと呼びます。

カウンターの人達は、前述したヘイトスピーチを発する人達を批判する立場です。

カウンターに属する人たちは、主に左派やリベラルに位置する人が多いと感じます。

左派とは、リベラル(自由主義ないし革新主義)、共産主義、社会主義、革新的、急速的、革命的な思想傾向を持つ人を総称した立場です。

リベラルとは、「弱者を救済し、より平等で、より平和な世の中を目指すべく〝変革〟を支持する思想」です。このことから、〝安定〟を支持する保守思想のとは、しばしば対立することがあります。

要約すると、リベラル思想とは、自由、革新、平等、平和、弱者救済を重んじる思想です。

しかし、中には平和とはかけ離れた人が存在する事も事実です。

左派の中にはごく一部、革マル派(革命的マルクス主義派)
中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)と呼ばれる、暴力テロやゲリラ行為などで過去に死傷者を出した過激派も存在します。

どの様な思想であっても、人の命を奪うことは決して許されず、本流のリベラルや左派からも過激派は支持されていません。

極左と呼ばれる過激派に対しては、全国各都道府県に「極左110番」という専用の窓口が用意されています。
http://ameblo.jp/chiruko12/entry-11824541304.html

そういった、左派の一部に存在する過激派とは対照的に、カウンターに位置する人は、差別によって深く傷付く社会的弱者を救済するべく活動する存在です。

従って、レイシストに対抗するカウンターの存在は、生まれるべくして生まれたと言えます

カウンターという言葉の意味は、「攻撃してくる相手の出鼻をくじくこと」です。

本来は、攻撃しなければ、反撃などしません。それがカウンターです。

この場合、「攻撃」というのは、ヘイトスピーチを指します。

反撃」というのは、それに対する批判を指します。

攻撃する側が存在しなければ、反撃する側も存在しません。

一部の右派からすれば、国内の安定を堅持けんじしたいと考え、国外からの干渉を避けたいと感じた結果、その発想が飛躍して外国人の排他的な言動に繋がるのでしょう。

しかし、それは短絡的であり、単なるレイシズムと成り得ます。

到底、許されることではありません。

このことから、私はレイシストを批判するカウンターの理念に、私はある程度の理解を示しているつもりです。

ただ、残念なことに、カウンターの中には「過剰防衛」とも取れる過激で暴力的な言動が目立つことがあります。

また、挑発して攻撃を誘うような言動や、攻撃の意図のない人の言葉までをも拡大解釈して、それを一方的に攻撃と見なし、弁解の余地を与えず「反撃という名の先制攻撃」といったものも見受けられるように感じます。

レイシストへ対する憎悪を募らせることもあるでしょう。

しかし「ミイラ取りがミイラになる」ような状態に陥り、ヘイトに対してヘイトで殴りかかるのは、それはもう武力の衝突、戦争の様相と言えます。ちっとも平和的ではありません。

暴走した正義というものは、時に恐ろしくもあります。

「正義のために」という一辺倒いっぺんとうの考えに囚われ、大義を果たすためなら相手に何をしても免責されると勘違いしがちです。

免責されるはずがありません。相手は、同じく血の通った人間であるはずです。

酷い場合は、個人への恫喝や、違法な行為をも厭わない人が中には存在します。

新潟日報上越支社報道部長による中傷の内容をまとめたページです

http://matome.naver.jp/odai/2144840123036860801

一部のカウンターから誹謗中傷や恫喝を受けた、ろくでなし子氏ご自身による手記です

http://ironna.jp/article/2402

暴力事件を起こして逮捕されたカウンターに関する新聞記事(アーカイブ)です。

https://archive.is/xshTE

「正義のために敵と見なした相手に、数と力に物を言わせ討つ」という偏執へんしつに囚われて善悪を見失う事はカウンターが守ろうとする人たちのためになりません。

修羅しゅらに身を投じるために悪鬼羅刹あっきらせつとなっては、本末転倒なのです。

カウンター側にも、人道的で理知的に、解決策を模索する姿勢が求められるべきではないでしょうか。

平和や非暴力を望む人たちは、カウンターの暴言違法行為を容認し、支持するでしょうか。

多くのニュートラルなサイレントマジョリティ(声を挙げない多数派)の支持を得られるでしょうか。

暴言や違法行為を黙認する活動家の姿勢は、社会に受け入れられるでしょうか。

本来のリベラルの目指す革新とは、暴力や暴言弾圧や強行とは相反するはずです。

武闘派や過激派や強行派と変わらない人は、リベラルの看板に泥を塗りかねないので、すぐさま看板を下ろすべきです。代わりに、嘘偽りなくRioter(暴徒)の看板を掲げてみてはいかがでしょうか。

過激派と呼ばれる人たちにスポットが当たり、「リベラルは暴力を肯定する過激派なんだ」と世間に認識されることが、リベラル思想にとってどんな利益をもたらすのでしょうか。

リベラルが最も注力すべきことは、反差別運動や、弱者救済や、格差是正ぜせいのはずです。
決して、暴力を肯定することではないはずです。

守るべき弱者に差し出した手が、暴力によって血塗られた手であってはならないでしょう。

フェミニズムと呼ばれる人達

まず、男女の間には生物学的性差があります。

遺伝子の性染色体が、XYなら男性。XXなら女性とされます。

ちなみに、

男性でXが一つ以上多い場合は、クラインフェルター症候群。
個人差はありますが、身体に女性的な特徴が見られることがあります。

女性でXが一つ少ない場合は、ターナー症候群とされます。
個人差はありますが、身体に男性的な特徴が見られることがあります。

生物学的性差とは、パスポートに記載された男女を判別する項目である「SEX」となります。

この場合、女性はFemale(フィメール)、で男性はMale(メール)です。

後に詳しく解説しますが、これは出生当時の身体的な判別でしかなく、個々のアイデンティティには多様性があり、いうまでもなくこの限りではありません。

従って、身体的性別と内面的性別が必ずしも一致するとは限りません。


生物学的性差とは別に、「社会的性差」を指す言葉として、ジェンダーというものがあります。

「男性中心で築き上げたられた既存の社会や文化においては、男女の性差がある」とする理論です。

要約するなら、男尊女卑や女性蔑視、女性軽視のことです。

現代では考えられないことですが、その昔、女性には参政権や投票権が与えられていませんでした。他にも様々な権利が与えられず、不当に差別され抑圧されてきました。

このことから、昔は、男尊女卑が今よりも顕著であったと言えます。

ジェンダーフリーという言葉があります。

「ジェンダー」は社会的性差で、「フリー」は自由です。

「社会や文化によって形成された既存の性役割性別特性論から解放され自由になろう」という意味をもつ言葉です。

ただ、この言葉は誤解や混乱を招くことなどから、今では教育現場を初めとした各方面で自粛されています。

代わりに、より正確な表現とされる、国連でも扱われるジェンダー・イクォリティという言葉があります。イクォリティ(Equality)とは、「平等」という意味です。

また、ジェンダーフリーのような性差をないものとする従来の運動とは違い、性別による差異を無視せず、あるものとした上で、より配慮を重んじ、慎重に注意を払うように呼びかける、ジェンダー・センシティブという思想も提唱されています。

センシティブとは「敏感」や「慎重さを要する」という意味です。

極端な例ではありますが、性差に配慮せず、陸上競技などが男女混合で行われた場合、短距離走でいえば、記録は男性に有利となり、女性は上位に着くことが難しくなると考えます。

身体的性差と社会的性差の混同を避けるための目的と、より明瞭かつ具体的で世間に浸透しやすくすることを目的に、提唱されたのではないかと思います。

この様なジェンダーフリーや、ジェンダー・イクォリティや、ジェンダー・センシティブを掲げる思想がフェミニズムです。

主に、男尊女卑をなくし、女性の権利向上を支持するといった思想です。

その社会運動は、他にもウーマン・リブと呼ばれることもあります。

フェミニズムも多様で、異なる思想の分派が存在します。

私は、一部を除いて、フェミニズムの運動を支持します。

リベラルフェミニズム

リベラルフェミニズムは、従来からのフェミニズムを踏襲とうしゅうした形の潮流ちょうりゅうです。

リベフェミと略されることもあります。

リベラルの名を冠するように、女性の自由と男女同権を掲げる思想です。

この場合のリベラルとは、政治的思想のリベラルとは若干違い、「革新」よりも「自由平等」を最重要視します。

飽くまで、「男女同権」と「女性の自由意思」を尊重することから「女性は社会的に弱者ではなく、劣ることもなく、男性と同等であるべきで、別段の優遇も必要がない」と考えます。

そのため、「女性の自由意思と決定権を尊重し、理性的な意思決定によって被ったリスクは、男性と同様に甘んじるべき。」といった帰結も当然想定されるわけです。

「そこへの保護は、フェミニズムの範疇ではなく、男性同様に自力で立ち上がるか、男性と同等の福祉や社会保障が適応されるべき」という事になります。リベラルフェミニズムとは、女性優遇や過保護を求めることではありません

完全自由主義である「リバタリアニズム」の様に、男性や社会などの抑圧や干渉から解放され、完全な自由となる代わりに「自己の決定権のもと、自立すべき」という思想は、リベラルフェミニズムと親和性が高いと言えます。(完全に一致するものではない)

また、過剰なポルノ規制には反対で、緊急避妊薬であるノルレボには肯定的です。

緊急避妊薬という選択肢が増えることで、救われる女性は必ず存在するでしょう。

後述する、ラディカルフェミニズムでは、アダルトコンテンツやポルノなどの性的表現を、主に「男性による性的搾取の象徴」とし、また「男性から女性に向ける性的な視線が強いこと」など、この他にも様々な主張から、規制することを推進しています。

緊急避妊薬であるノルレボや低用量ピルなど、女性が自主的に用いる避妊薬に対し「男性が自主的に避妊しなくなり、女性に避妊を押し付ける懸念がある」と危惧することなどから、否定的な声も挙がっています。(否定的な理由は他にもあるでしょう)

このことから、リベラルフェミニズムとラディカルフェミニズム間では、一部で対立することもあります。

尚、ノルレボの普及を支持する方が、必ずしもフェミニズム支持とは限らず、医療的な観点から普及に努める方など、その考え方は様々であることは、いうまでもありません。

マルクス主義フェミニズム

マルクス主義フェミニズムとは、資本主義によって抑圧された女性を解放する事を趣旨にした運動です。要するに共産主義を目指す思想です。

ウーマン・リブによる、資本主義社会での女性の社会進出が支持される中、今の時代において、その存在感はさほど感じられません。

資本主義社会では女性が抑圧されて活躍できない」とする思想は、「資本主義社会の中であっても女性が社会進出できる事が理想」と掲げる他のフェミニズムに相反することから、前時代的で、現代において、共産主義思想がフェミニズムを抱き込むことは困難とも言えます。

従って、個人主義の趣きが強いリベラルフェミニズムには、共産主義は相容あいいれることはないでしょう。

ラディカルフェミニズム

ラディカルとは、過激、極端、急進的、根本的といった意味があります。

1970年代から盛んになった、比較的新しい分派です。この場合のラディカルとは「急進的」を指します。

従来のフェミニズムないしウーマンリブによる社会運動で勝ち得た権利は、現代の世の中に深く根付いています。

まだまだ十分とはいえないものの、女性の社会進出はかつてに比べると大きく進展したように思います。従って、リベラルフェミニズムの思想は、社会にある程度浸透し、一般化したように思えます。

このことから、1970年代以前の「社会における男女格差をなくすためのフェミニズム」は、一定の役割を終えたと言えます

ラディカルフェミニズムは、引き続き、未だ残る公的領域への男女格差を問題とし、さらには私的領域の男女格差をも是正しようと試みる潮流と言えます。

ラディカルフェミニズムを語るうえで欠かせない言葉として、ミソジニーというものがあります。

ミソジニーとは、女性に対する嫌悪や憎悪、軽視や蔑視のことを指します。

ちなみに、対義語であるミサンドリーは、男性に対する嫌悪や憎悪、軽視や蔑視を指します。

痴漢やセクシャルハラスメントなどの性暴力は、女性を軽んじた軽視している行為といえ、犯罪抑止を更に強化する必要があります。

「女性は、男性にとってのコンテンツであり、性的に搾取や消費して当然」という考え方は、女性の権利を蔑ろにした女性蔑視といえ、絶対に許されることではありません。

ネットで見かける「ただしイケメンに限る」とか「女にとって男はATM」とか「三次元の女はクソ」といった卑屈な発言は、女性を悪玉化して自己を正当化するための女性憎悪の感情が見られ、責任転嫁せず、認知の整合を保つことが求められます。

このように、世の中にはミソジニーが溢れかえっています。もし、それを感じ取れないのなら、ミソジニーが世に氾濫しすぎたことで、それが日常となってしまい、感覚が麻痺しているのかも知れません。

もちろん、「そういったこととは無縁だ」と仰る女性もいらっしゃるでしょうし、それも否定しません。

ただ、世の中にはミソジニーを含む男性による、迫害ともいえる一方的な搾取や暴力によって虐げられ苦しむ女性が存在することも事実です。

私は、カウンセラーという職業上、男性による一方的な搾取に苦しむ女性の実情を伺う機会が多く、その紛う事なき事実を、実感として感じ取っています。

被害者ともいえる立場の女性は、その反動から、ミサンドリーに発展することが多いと感じます。

ミサンドリーとは、前述のとおり女性嫌悪の対義語で、男性嫌悪や男性憎悪を指します。

これは、ある意味当然といえるでしょう。

痴漢など、性的被害を受けた場合、男性恐怖症となることは十分におもんばか(状況を踏まえて考慮すること)ことができるはずです。そこから立ち直る段階で、男性に対する嫌悪感や憎悪が芽生えることも当然といえるでしょう。

そういったことから、ミサンドリーに対しては、全面的に肯定とまではいかないものの、ある程度の理解はできるはずです。

ただ、ラディカルフェミニズムという思想を掲げることは、男性に対する憎悪を撒き散らしていい権利を得ることではありません。

そこを切り分けずに個人的感情を「フェミニズムのためだ」と言い張ると、当然、世の中からの反発が沸き起こることも想定できます。

「一部の男性」とすべきところを、「男は皆」と主語が大きくなってしまった場合、女性に対すして配慮しフェミニズムを支持する真っ当な男性は、謂われなきヘイト(憎悪)を浴びて傷付いたり、または「そうではない」と反論(反発)したり、周囲には、そういった男性を擁護する人が現れたり、侃々諤々かんかんがくがく(激しい議論を交わす様子)とした様相ようそうていすることは、現状を見れば明らかです。

ミサンドリーの方は、女性の権利獲得や保護を目指すために社会運動を為し得たいのでしょうか。そうなのでしたら、いたずらに対立を煽ることは賢明とは言えないでしょう。

それとも、個人の怨念を成仏させるために、仮初かりそめの宗教にすがるような思いなのでしょうか。

私は、断言します。保守思想であろうと、リベラル思想であろうと、フェミニズムであろうと、怨念の先にあるのは過激な思想であり社会運動の実現に貢献することはないです。

レイシストは、保守思想に相容れないです。

暴徒は、リベラル思想に相容れないです。

ミサンドリーは、フェミニズムに相容れないです。

ミサンドリーと呼ばれる人たちにスポットが当たり、「フェミニストは男性憎悪のための思想なんだ」と世間に認識されることが、フェミニストにとってどんな利益をもたらすのでしょうか。

初めの方に話を戻しますが、ネトウヨや極左と呼ばれる人が、個人的な忌避きひ感情や憎悪感情を、特定の思想に結びつけることは生産的ではなく、また、本来の思想に対しても評価を下げることに繋がりかねないと述べました。

ただ、この場合のミサンドリーおいては、それよりも問題だと感じることがあります。

なによりも、男性に対する憎悪を滾らせて、呪いの言葉を吐き続ける人たちのご自身の心が心配なのです。

どれだけ男性を呪おうが、世の中から男性を消すことは非現実的でしょう。

その時、ミサンドリーを煽る一部のラディカルフェミニズム思想は、呪いの言葉を放つ人々を救う光となるのでしょうか。

自身の抱えるミサンドリーに報いることを、男性だけに求めることは、男性に対して依存的であると言えます。いつまでも男性に翻弄され続けているとも言えます。

それを克服するためには、自身の内面と向き合い、ミサンドリーと肥大した男性像の呪縛から解き放たれる道を模索することが必要なのかも知れません。

憎悪に支配されない強い心を育てる必要があるのかも知れません。

自己の憎悪感情と、思想は切り離して考える必要があるのかも知れません。

そして、強く疑問に感じることがあります。

ミサンドリーの人が持ち上げて称賛している強い人は、本当に弱者女性の救済のためだけに声を挙げているのでしょうか。個人のイデオロギーに利用していないでしょうか。

その、支持され持ち上げられた高みに君臨する強い人は、なぜ弱者本人の男性嫌悪を煽って対立をけしかけるのでしょうか。弱者に更なる消耗を強いるのでしょうか。

男性から何らかの被害に遭った人には、「拳を挙げて前線で戦うことよりも、喧噪けんそうから離れて傷を癒やすことを優先すべだきだ」と、諭すことが先決だと私は考えます。

荒々しい喧噪の矢面やおもてに立ち身を削ることより、静かに自己と向き合うことの方がナラティブできると感じます。

http://www.grief-survivor.com/study/narrative.html

例えば、裁判員制度で、凄惨な事件にたずわる人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥ったとします。

この時、その人には、これ以上世の中に凄惨な事件が起こらないように、犯罪抑止に尽力するべく戦うことを勧めるのが良いのでしょうか。

それとも、一時的に残酷な事件や犯罪から目を逸らし、すこし距離を置いて、心を癒やすことに専念すべきでしょうか。

私は、まず、心を癒やす事が先決だと考えます。世の中と戦うのは、十分に傷が癒えてからでも遅くはないでしょう。弱者を満身創痍まんしんそういの状態で前線に立たせるのは残酷に感じます。

それに、戦うのは、強い立場の発言力のある人に代理を任せていいのではないでしょうか。

満身創痍の人が、支持基盤となり声を枯らし声援を送り続け、強い立場の発言力のある人となり、その人に消費され続けることが救いとなるのでしょうか。

私は、まず、ご自身の心の中に向き合うことが、救いに繋がる大きな一歩なのだと考えます。

  • 内面で向き合わなかった問題は、いずれ運命として出会うことになる。
  • 他人について私たちがイライラするあらゆる事柄は、私たち自身を理解するのに使える事柄だ。
  • 受け入れることなしに、何も変えることはできない。非難は(精神を)解放するどころか、抑圧するだけなのだ。

– 心理学者 カール・グスタフ・ユング –

私の言葉が、「ラディカルフェミニズムを骨抜きにして牙を抜くための謀略だ」と感じた方は、それで構わないと思います。
私でよろしければ、いくらでもご批判ください。
その方は、ミソジニーと戦う体力のある人です。引き続き、私は応援したいと思います。

ただ、心にえもいわれぬ苦しさがある人は、戦うことよりも休息が必要なのかも知れません。
その場合、戦線離脱して戦う体力のある方にバトンを渡してはいかがでしょうか。

実際の戦場にも、負傷した兵士の治癒に専念する軍医や衛生兵がいます。

侃々諤々の論戦に身を投じるべき時なのか、傷の手当てに専念すべき時なのか、ご自身の心に問いかけることを忘れないでください。

それと、ミソジニーな男性や反フェミニスト層(またはバックラッシュ層)から支持を得たいという私利私欲のために、敢えてフェミニストを挑発するような人も、イデオロギーを私的濫用しているといえます。

ご覧になったことはありませんか?

弱者の味方のフリをして、深イイ話っぽい話ばかりするミソジニストが。

その逆もまた然りで、「我こそはフェミニストの味方であり代弁者である」と、四方八方に批判を飛ばして、支持票を集めようとする搾取者も存在するでしょう。その方の真の目的はなんでしょうか。深く観察してみましょう。

一時期、「嫌韓本」がかなり売れましたよね。

なんの教養も品性もない本があれだけ売れたのは、ネトウヨと呼ばれる人たちの憎悪感状を上手く利用してカモにした一例です。

ミソジニーやミサンドリーだって、その憎悪感状を利用してカモにされかねないです。

「嫌女本」や「嫌男本」があったとすれば、それは何も解決することがなく、対立を煽るだけです。

特定の対象をやたら危険だと煽る「ホントは危ない○○」といった本もそうです。

ワクチンの副反応だけを強調したりです。謂わば、「嫌医本」といえます。

特定の対象に、なにかしらのヘイトが高まった人は、次々とビジネスのカモにされるでしょう。「嫌老化(アンチエイジング)」とか「嫌肥満(ダイエット)」とか「嫌醜(美容)」も、商品を勧める上で、徒に不安を煽るのなら、それは要注意だと思います。

あなたが支持して持ち上げる人は、本当に世の中を変えたいのか、心にもない言葉を並べて特定層をカモにビジネスをしたいだけなのか、慎重に見極める必要があるのかも知れません。

世の中、「善と悪」「敵か味方」と、なんでも二分化できるほど単純ではありません。なにかに無批判に傾倒することは危ういと感じます。

逆に、一人の個人の中に、同意できない思想があったとしても、その他の多くで共感できる場合もありますよね。その場合、たった一つの相違だけで敵認定して目の敵にするのは、残念なことです。

「共感できるその他の多くの部分」で大いに語らい、相手を尊重できたかも知れません。

次のページでは、各イデオロギーを整理して、より洗練させるための自浄作用について、私なりの考えを述べたいと思います。


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