思想掲揚の作法【履き違えた思想にばかりスポットが当たる】

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自浄作用なき思想は暴走して瓦解する

どのイデオロギーにも、自浄作用が働いて然るべきだと思います。

何事も、盲信して一辺倒に傾倒けいとうすると、感覚が麻痺して正常な判断が難しくなると考えます。

それは、一歩引いた人からは顕著に伺えますが、渦中にいる人には周囲の偏った考えの人しか目に付きにくいので、認知の歪み(認知バイアス)が生じやすいといえます。

対立する思想の粗は、非常に目に付きやすいですが、自身が身を置く思想の粗は、黙認したり、または視界に触れないように蓋をしたくなるでしょう。それは認知バイアスの一つです。

また、一つの思想にあらゆる考え方を一緒くたにすることも、認知の歪みを肥大させるでしょう。

保守思想における一緒くたの例

保守思想の場合、傾向的に自己責任論を論ずる人が散見されます。

これは、支持政党である与党の政策によって、生活に困窮した人たちの不満の矛先や原因が、与党政府に向かわないように仕向ける目眩ましのようにも感じ取れます。

その先に待ち構えるのはファシズム(極端に一党独裁な国家社会主義)です。

この国で困窮する弱者が多く存在するということは、それらが自己責任にあらず、政府の失政によるものだと考え、舵取りを誤らないように批判し、政治を良くすることを考えた方が前向きといえます。

安易な自己責任論は、自身の首を真綿で絞めるような発想です。中途半端なリバタリアン(本来のリバタリアンは、無政府主義の上で国民の完全な自立を目指す超自由主義)は、保守思想とは別の潮流に分けることが賢明だと感じます。

「自己責任」という言葉、いつか自身に返ってくる悪魔の言葉です。その言葉は、時として、たやすく人を殺める凶器と成り得ることを覚悟して下さい。

http://wotopi.jp/archives/24317 http://www.huffingtonpost.jp/2015/12/19/poverty-single-mother_n_8846830.html http://togetter.com/li/772993

リベラルにおける一緒くたの例

リベラル思想の場合、ハト派と呼ばれる人の中に「自国の国益よりも他国との摩擦軽減や和平を最優先する」という考え方を持つかたがいらっしゃいますが、あまりにも危機感がなく机上論きじょうろんと成り得る様に感じ取れます。

「摩擦軽減」や「和平」という語句は、非常に重要なことはいうまでもなく、そのことから、一見して非常に耳触りの良い言葉となります。ただ、その美辞麗句びじれいくの犠牲になる人は誰でしょう。弱腰外交によって被った損害を、綺麗事にすり替えるのは単なる詭弁きべんでしょう。

国家の財政には限りがあります。只でさえ、医療や福祉や年金などの財政が瀕する危機が、切実に迫っており、国内の社会的弱者にとって、最後の命綱であるセーフティーネットが脆弱ぜいじゃくになる懸念けねんがあります。

他人事ではなく、病気や怪我をすればみな弱者ですし、年を取ればみな弱者です。

まずは、自国の弱者救済を最優先にすべきではないでしょうか。

そのためには、国益を重んじることもある程度は大切でしょう。ハト派に位置するような、非現実的な机上論を掲げるお花畑思想は、別の潮流に分けることがリベラルにとって賢明だと感じます。

障害基礎年金の減額や支給停止の恐れ
https://archive.is/s4I5T

歳出抑制のため高額医療費精度を見直す動き
https://archive.is/4NrJC

子育て給付金廃止
https://archive.is/eOEhd

介護分野の報酬が減額
https://archive.is/k6e7m

(ニュースや新聞社のサイトは一定期間を過ぎると削除されているのでアーカイブのURLを掲載しております)

リベラルが最優先に救うべき相手は誰ですか。

手の届く範囲にいる社会的弱者のはずです。

優先順位を間違っていないか、もう一度熟考しませんか。


一部の保守のように、幻想に思いをせるのは、ゆるやかな心中といえるでしょう。

一部のリベラルのように、空想に思いを馳せるのは、非現実的で醒めることのない夢物語といえるでしょう。

フェミニズムにおける一緒くたの例

フェミニズムの中で、特にラディカルフェミニズムに位置する人たちに、「セックスヘイター」のような意見も伺えます。

「セックスヘイター」とは、性憎悪主義者のことです。

性行為そのものを問題視する考え方ともいえます。この言葉の提唱者は、ドラゴンボールでお馴染みの鳥山明氏です。

http://vobo.jp/toriyama.html

一つ断っておきますが、私は鳥山氏の言説を全面的に支持するものではありません

過去のトラウマや成長過程から、性嫌悪に陥った人を責める気持ちは微塵みじんもなく、むしろ、救済が必要だと感じています。

また、生まれながらにしてAセクシャル(無性愛者)である人を否定する気持ちもありません。そこは、切り離してお考え下さい

やはり、一辺倒に性行為や性的表現を批判したり否定することには、いささか乱暴さも感じる部分はあります。

女性への一方的な性的搾取が断じて許されないことは、いうまでもなく大前提です。

ただ、性自体を否定することは、女性のもつ性欲や性衝動、性的好奇心、そういった部分をもないがしろにしたり、または抑圧することに繋がりかねないのかと、はなはだ疑問ではあります。

ここからすこし個人的な話になりますが、私は成人して妻と出会うまでの間、交際経験も性経験も一度もありませんでした。

性嫌悪であったわけではありませんが、性抑圧のようなものはあったように思います。

それは、幼少期より、性的なことに対し徹底的に触れさせない、非常に抑圧的な家庭環境が起因しているんだと考えています。

そこに、恋愛に消極的な性格や、「単純にモテない」という厳しい現実などが加わって、ある種、戒律的かいりつてきなまでに自身を抑圧していた部分があります。(得てして抑圧には反動がつきものです)

そのことから、必然的に女性の性に関する知識にうとくなり、女性に性欲があるということを、かつての私には、にわかに信じられなかったのです。

しかし、私は大人になってから、女性本人による「主人が夜の営みに応えてくれず困っている」とか「自身の持て余す性欲に困っている」とか「アダルトコンテンツ大好き」といった、性に関するつまびらかな発言を複数耳にしたことから

「なるほど。性欲や性的好奇心は、女性にもあるんだ(ピピ…ガーガー。クロノス オボエタ…。 データ ヲ コウシンチュウ…。ピッ)」と、当時はまだピンとはこなかったものの、せめて頭の中だけでもと、それまでの認識を改めたものです。

比較的最近では、女性が性についてオープンに語れるような空気を、世間が支持する風潮が見受けられるように感じます。

男尊女卑が激しかった昔では、「女性はおしとやかで奥ゆかしくあるべき」と、女性が性に関して詳らかに言及することが抑圧された、男性の支配による封建的ほうけんてきな風潮がありました。

今でも、保守的な考え方の中に、こういった思想が根強く残っているように見受けられます。

そのような逆風を押しのけて、女性も自由でオープンに性を語ることや、性的好奇心を満たすためのコンテンツを楽しむことなどが、ある程度の市民権を得たと感じます。

その証拠に、従来は、成人向けアダルトゲームは、男性のためのものという風潮でしたが、昨今では女性向けアダルトゲームが数多く存在します。

これもまた男性向けであったアダルトビデオも、女性向けのレーベルが誕生したことで話題になりました。アダルトサイトも女性向けにターゲティングされたものがあるようです。

従来の性に関する市場は、一方的に男性が女性に対してコンテンツ化して消費していたといえます。従って、女性を商品として見ている部分が、少なからずあったのだと思います。

それは、女性からすれば、非常に屈辱的で許し難いのは当然です。

そして、男性は女性に向ける視線に配慮すべきです。

女性の性の部分ばかりを見ずに、人としてのパーソナリティやアイデンティティをしっかり見るべきです。

相手は、性欲や性愛のみの対象ではありません。

誰しも、物扱いを受けると激しく傷付きます。

パートナーとの性生活では、相手を尊重し、暴力的な行使は絶対にあってはならないことが前提です。性的強制は相手の心を殺す行為です。絶対に許されません。

それが、必ず担保された世の中であるべきです。

その上で、私は、性に関する部分においても、社会的格差や文化的格差がなくなり、女性が男性と同等に楽しむ権利を獲得すべきだと思います。

その一方で、
ラディカルフェミニズムに位置する人の中には、過剰ともいえるポルノ表現規制派が多く見受けられます。

リベラルフェミニズムでは、「被害者の存在しないポルノは許容する」という考えが主流であることから、しばしば対立が生じます。

ただ、「被害者の存在するポルノ」に関しては、フェミニズムであろうとなかろうと、全人類共通の問題であるべきです。

しかしながら「ポルノの被害者」の定義が曖昧で、未だ議論が続いている段階と言えます。

実在する未成年のポルノ」は、「児童ポルノ」として、いうまでもなく違法です。

この場合、未成年が被害者なのは明確で、制作する側や所持する側は加害者です。

ここで争点となるのは、「非実在キャラクターによるポルノ」です。

例えば、週刊少年チャンピオンを代表する作品である「弱虫ペダル」や「少年ラケット」や「錻力ぶりきのアーチスト」は、大絶賛連載中なんですが、

(基本的にチャンピオンの漫画はどれも大好きで、チャンピオンをおかずにご飯10杯食べられます。※Q2

それらの作品の主な登場人物は、中学生や高校生などの未成年です。

中でも弱虫ペダルは非常にファンが多い作品です。同人誌と呼ばれる二次創作もファンの間で賑わっています。

同人誌の中には成人向けとして、未成年の少年同士による、性的な表現もあることでしょう。

これが、仮に実在する少年の写真を扱っていれば、被写体が未成年であるゆえ、当然、児童ポルノとして摘発されます。

しかし、非実在キャラクターが登場する、弱虫ペダルの成人向け同人誌の被害者は誰なのでしょうか。
(同人誌を黙認している原作者や出版社という話は、また別の問題とします)

おおむね「実在する児童への性犯罪を助長しかねない」という発想なのでしょう。

それも、絶対にないとは断言できませんが、現段階では統計や学術的な根拠に乏しいといえるでしょう。

児童への性犯罪抑止のアプローチとしては、現段階では監視カメラ増設や、街路灯の増設や、相談窓口の増設、各自治体での見回り強化、死角をなくす街作り、などが効果的で現実的であるように思えます。

従って、創作物への表現の規制は行き過ぎている部分があると、私は感じます。

創作物は、ゾーニング(配慮を心掛けて区分すること)され、大衆の目に触れにくい場所で、個人が密やかに楽しむ分には問題ないように感じます。

創作物には、漫画や小説やアニメがあります。

その中のひとつに、ハーレクインロマンスという小説があります。

1950年代にイギリスの出版社で刊行された、女性向け恋愛小説です。

女性向け大衆恋愛小説の火付け役となった存在で、今や世界97カ国で発売され、恋愛小説の代名詞となる地位を確立しました。

その、ハーレクインの刊行物にも、男女の露骨な性的描写は存在します。
(以下のリンクは成人向けなので、良い子のみんなはブックマークからYahoo!でも開いていてください)

http://www.harlequin.co.jp/hq/books/detail.php?product_id=9453 (おいおい、ド直球なエロ小説やないか)

他にも、女性向けエロ漫画ともいえる、レディースコミック(レディコミ)があります。

http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/87613/ http://sp.comics.mecha.cc/books/42840 (うわー!刺激が強い!)

以上、これらの作品は女性向けポルノ表現です。
(良い子のみんな、戻っておいで~!)

上記の作品には、概要を読むだけでも女性の裸の描写や性行為のシーンがあると予測されますが、これらはポルノ表現であり規制対象なのでしょうか。

ここまでは創作物における表現規制についてでしたが、今度は実写作品におけるポルノ表現の被害者について考察しましょう。

実写作品における、ポルノ作品の被害者とは、誰なのでしょう。

それは「アダルトコンテンツに出演する女性」という発想もあるのでしょう。

これに関して、私は一部に限っては妥当性があると感じます。

女性の自主決定権を尊重するリベラルフェミニズムでは、「自らの意思で選択した職業であるから、被害者と見なすことは差別である」という風潮があるでしょう。

しかし、どこからどこまでが「自らの意思」といえるのでしょうか。

過去の私のTweetを検索して、アダルトコンテンツに言及しているものを列挙してみます。

一辺倒な表現規制には比較的反対である一方、性産業に搾取される女性を問題視していることが伺えると思います。

例えば、DVを受けながらも、暴力的な相手から逃れられず、あまつさえイネーブラーとなって相手を支える女性が存在します。

イネーブラーは「この人は私がいないと駄目になる」ということに、自己の存在価値を見出していることが起因していると言えます。

アダルトコンテンツに身を置く人の中にも、このような自己正当化で自身の本心を紛らわしている人が存在するかも知れません。絶対に存在しないとは断言できないでしょう。

もちろん、強い意志で自ら性産業への道を選択し、自信と誇りをもって仕事に励む人も存在することは間違いないでしょう。

女性だけではなく、男性の中にも、自らの意思に反して、ブラック企業で搾取されたり、ワーキングプアを余儀なくされている人もいるでしょう。

なにせ、重要なことは「必ずどちらか一方のみだ!」といった、思考が一辺倒にならないことです。

ただ、この問題は非常に難しいところであり、私も思考停止することなく、さらに熟考したい所です。

この問題には、表現の自由の確保と、保護されるべき女性の権利男性からの一方的な性的搾取性欲の対象としてのみ消費されることへの嫌悪感など、様々な思いが渦巻いています。

これらもやはり、一緒くたにして一辺倒に考えず、一つ一つ切り離して個別に議論を尽くすべきだと考えます。

そもそも、フェミニストの中でさえも、意思統一されておらず、中には「自身の感情の正当化に、イデオロギーロンダリングとしてフェミニズムを濫用しているだけ」という風に見える意見が、ちらほら伺えるように感じます。

個人的に嫌いなものを排除したいがため、独善的にイデオロギーを悪用してもいいのでしょうか。それこそが、混乱を招く元凶にも思えます。

そもそも、ジェンダーとは「社会的性差」なんですが、「男が」とか「女が」という議論ばかりしていて、セクシャルマイノリティ(性的少数者)の方々を、おいてけぼりにしているように感じます。

セクシャルマイノリティとは

セクシャルマイノリティは、代表例としてLGBTの名前が挙がることが多いですね。

  • L=レズビアン : 女性の同性愛者で、性自認は様々
  • G=ゲイ :  男性の同性愛者で、性自認は様々
  • B=バイセクシャル : 異性愛者であり同性愛者でもある。性自認は様々
  • T=トランスジェンダー : 広義として、生物学的性別と性自認の間に違和感を持つ人。または、性別の概念にとらわれない性別越境者えっきょうしゃ

この他にも性的少数者は多岐に渡って存在します。

IS=インターセックス
身体的に、男女どちらもの特徴を持っている人です。
生物学的性差に関する項でも触れましたが、ターナー症候群やクラインフェルター症候群の人も、ISに含まれます。

FTM=フィメールトゥメール(Female to Male)
生物学的な女性が、男性としての生き方を選択した人です。

MTF=メールトゥフィメール(Male to Female)
生物学的な男性が、女性としての生き方を選択した人です。

FTMTX=フィメールトゥメールトゥエックスジェンダー(Female to Male to X-Gender)
生物学的に女性だが、男性として生きた結果、その後、既成の性別の概念にとらわれず、どちらでもない生き方を選択した人です。

MTFTX=メールトゥフィメールトゥエックスジェンダー(Male to Female to X-Gender)
生物学的に男性だが、女性として生きた結果、その後、既成の性別概念にとらわれず、どちらでもない生き方を選択した人です。

FTX=フィメールトゥエックスジェンダー(Female to X-Gender)
生物学的に女性だが、、既成の性別の概念にとらわれず、どちらでもない生き方を選択した人です。

MTX=メールトゥエックスジェンダー(Male to X-Gender)
生物学的に男性だが、既成の性別概念にとらわれず、どちらでもない生き方を選択した人です。

GID=性同一性障害(Gender Identity Disorder)
身体的性別と、性自認の違和感を医学的観点から障害とみて治療する場合の疾患名です。
この場合、当事者が望む場合は性別適合手術が行われることもあります。

TV=トランスヴェスタイト(Trans Vestite)
女装や男装など、異性の服装を身に着ける人で、特に性違和がない人です。
性自認は男性でヘテロセクシャル(異性愛者)であり、女装を楽しむ「女装子じょそこ」や「男の娘おとこのこ」も、こちらに分類されます。
女性の場合は、性自認は女性でヘテロセクシャルであり、男装や男性的な服装などを好む人です。

3rdG=サードジェンダー(Thrid Gender)
男性でも女性でもなく、新たな第三の性として生きる人です。

GB=ジェンダーブレンダー(Gender Blender)
様々な既存のジェンダーを混ぜたような生き方を選んだ人です。

PS=ポリセクシャル
性的対象が、男性や女性に関わらず、またレズビアンやゲイやトランスジェンダー、エックスジェンダーなど、様々である人を指します。

ここに記した例は、全てではなく、この他にも様々なジェンダーが存在します。

ちなみに、異性愛者は同性愛者の対義語として、ヘテロセクシャルと呼ばれることもあります。

ジェンダーを語る場合、前述したセクシャルマイノリティを蔑ろにして「男が!」「女が!」という議論ばかりをしていていいのでしょうか。

ジェンダーフリーや、ジェンダーイクオリティの、ジェンダーに含まれるのは、女性と男性だけでしょうか。

社会から抑圧され蔑ろにされている女性の、解放と権利獲得のための運動が、フェミニズムないしジェンダー論だと思います。

女性と同じように社会から抑圧されてきた、セクシャルマイノリティの解放と、多様な生き方を認めるための権利獲得も、世の中に一般化させるべく世に訴えていきたいですね。

男女共同参画社会の実現に、真剣に取り組んで活動なさっている方は、セクシャルマイノリティが抱える問題にもしっかりと向き合っている印象があります。

もし、女性の権利だけを声高に主張している人がいたとすれば、真剣に活動している方々から咎められることがあるかも知れません。

今の世に即するかたちで、フェミニズム理論から、セクシャルマイノリティを包括したクィア理論への転換期が訪れているのかも知れませんね。

ジェンダーの多様性と嗜好の多様性

ジェンダーの多様性に触れましたが、ここからは、嗜好の多様性と許容の話に移ります。

世の中には、非常に多種多様なフェティシズムが、性別に関わらず存在します。

ちなみに私はお尻フェチです。
(厳密にいうとお尻フェチやおっぱいフェチはフェティシズムには該当しないのです)

敢えて話を脱線させますが、お尻ってあの腰から大腿への曲線美がたまらなく美しいと感じます。
本当に芸術的で見惚れます…。

Venus

『尻の美しいウェヌス』   作者不詳 1世紀または2世紀 ナポリ考古学博物館

関係ない話ですが、それにしても、ってお尻に似ていますよね(笑)※Q1(本当にそんなことどうでもいいわ!)

全然関係の無い話をして申し訳御座いません…。これはノルマみたいなものなのです…(理由はまた後述しますので…)

失礼致しました。話を戻しましょう。

フェティシズムの中でも、一部で、とりわけ社会生活に支障を来す場合は、「パラフィリア※3」と呼ばれ、医療機関による治療の対象となります。

※3一部、例を挙げるなら、ペドフィリア(児童性愛)や、露出症(下半身の露出など)、窃視症せっししょう(覗き行為)などは、国際的な医学の診断・統計マニュアルである、ICD-10やDSM-Ⅳ-TRに障害としての記述があり、医師の判断のもと、治療の対象となる場合があります。

現行法に反する明らかな犯罪は、もちろん摘発し抑止すべきですし、精神障害の範囲であるならば治療の対象と成り得ます。

しかし、その他の個人的嗜好しこうに関しては、社会がどこまで強制介入していいのか、それを線引きするのは非常に難しいと感じます。

ましてや、個人的な好き嫌いだけで、安易に他者の嗜好を悪と断じて、排するような裁量権さいりょうけんは誰にも与えられてはいないと思います。(例えば、セロリが嫌いだからといって、セロリ好きと、セロリ農家と、セロリ自体を攻撃したり排除していいわけではありませんよね。私は食べずにこっそり残しますけど…)

例えば、SM嗜好の性的嗜好のカップルがいたとします。サディストマゾヒストもフェティシズムの一つです。

サディスティックな男性が求める性的嗜好と、それに応えることに快楽を感じるマゾヒスティックな性的嗜好の女性がいたとします。

S男性は、M女性の要望に応えるように、サディスティックな行為に及びます。

これは、さしあたって問題はないと感じます。

仮に、「サディスティックなプレイは嗜虐的であるから規制すべき」とした場合、「サディスティックな行為を求めるM女性の立場はどうなるの?」という話にはならないでしょうか。(「知ったこっちゃない」と思うのでしたら、あなたの意見にも「知ったこっちゃない」という返答がいずれ返ってくるでしょう。)

これがもし、サディスティックな男性が、サディスティックな行為を嫌う女性嗜虐的しぎゃくてきな行為を強制した場合なら、話が変わってきます。

これは、明らかに女性の意思を無視した性的暴行や傷害罪です。

逆もまたしかりで、仮に、直腸にアルコールを流し込む事が趣味の女性が、男性にそれを強行した場合、傷害罪か傷害致死罪に問われる可能性があります。

http://blog.livedoor.jp/nextrereban/archives/18168012.html

(まぁ、これはフィクションでしょうけど…)

誰かの犠牲の上で成り立つ嗜好などは存在してはならず、その範疇はんちゅうを超えていると考えます。

お尻が好きだからといって、触られることを望まない人のお尻を触ってはならないのです。(痴漢、ダメ絶対!)

(2011年の私のTweetですが、誰かに濫りに迷惑をかける趣味は「悪趣味」となります。)

しかし、そういった悪趣味ともいえる、暴力的嗜虐的なアダルトコンテンツが存在しているということを、割と最近、Twitterのタイムラインで知ることとなりました。

そういった実写作品は、個人的にも非常に趣味が悪いと感じます。
(非実写なら、私個人としては好ましく思わないが、創作活動なので一概に否定せず)

過去に、フィクションという一線を越えて障害や強姦事件として刑事問題に発展した事例もあるとのことで、この様な犯罪一歩手前のコンテンツが跋扈ばっこしていることは非常に恐ろしく感じます。
(気分を害する人に配慮し、事件の詳細についてのリンクやキーワードの記載は避けます)

加害的なアダルトコンテンツ関しては、セックスヘイターならずとも、犯罪一歩手前の行為に対して、多くの人が眉を顰めるでしょう。

だって、プロレスと、闇の地下プロレスは全然違うでしょ(闇の地下プロレスってなんなんだよ)

それら嗜虐的AVは、限定的なごく一部に向けたマニアックな趣味であり、一般的に受け入れられるものではなく、公に向けて、詳らかに明かすことのできない特殊なものだと思います。

世の中には、自身の価値観にそぐわない、許容範囲の外にあるような趣味は、探せば山ほどあると思います。(私は、個人的にはリョナと呼ばれるジャンルや、ロリコン趣味とかは創作物であっても苦手です。あと、ス●●●みたいなのも、ムリ! というか、基本的に無理なジャンルの方が圧倒的に多いです。)

多様性を重んじようと試みる私にも、できれば目に触れさせたくないものは多く存在し、また、そういったものを自らほじくり出すことは避け、距離を置いて精神の安定を図っています。
(自身が好まないからと言って、それらを好む人を差別したり排除しようとも決して思いません。)

世の中の不条理は、数え切れないほど存在し、全てに向き合おうと思うと、心が疲弊ひへいします。

世界中の社会問題を一手に引き受けることができる人など存在しません。

問題と感じることをなんでも背負い込もうと考えると、必ず無理が生じます。

問題意識をもつことは立派ですが、無理のない範囲で喚起かんきし、あまり深追いせず、疲れたときは引き返すことも大切だと思います。

なによりも、見たくないものを追いかけて見続けることは、精神的に負担が大きいといえます。セーフフィルターって大切ですよ。

性犯罪抑止の近道を探す

私の悪い癖で、かなり話が逸れましたが、軌道修正したいと思います。

セックスヘイターの話に戻しましょう。

セックスヘイターは、なんらかの事情から、性行為そのものを憎悪する人です。

そうなった背景は様々でしょう。

セックスヘイターの中には、性犯罪の被害者も存在するでしょうし、そうでない人もいるでしょう。

飽くまで考え得る可能性として

  • 倫理的な観点から、婚姻前の性行為を好ましくないと感じる人も存在するでしょう。
  • 戒律的な考えから、性行為自体を悪しきものだと感じる人も存在するでしょう。
  • 同性愛はによる性行為は肯定するが、異性愛による性行為に嫌悪感を感じる人も存在するでしょう。
  • 時代錯誤じだいさくごな男女観によって、女性の性に対して自主性や奔放ほんぽうさを認めないという人も存在するでしょう。
  • 自身が性行為をできないことから、他人が行う性行為を憎悪する人も存在するでしょう。
  • 何らかの倒錯とうさくによって、性行為に恐怖心を抱く人も存在するでしょう。

個人の感覚や好き嫌いや事情は、人それぞれです。私がそこにとやかくいう資格はありません。いえることがあるとするならば、「一度お気軽にカウンセリングを受けてみてはいかが?」といったところでしょうか。
(たまに、カウンセリングに偏見を持たれている方がいらっしゃいますが、クライエント様に、精神疾患ないし精神障害の有無は関係ありません。「毎日の献立を考えるのに悩む」といったお話であっても、それはれっきとしたお悩みであり、その背景に目を凝らすため、カウンセラーは丁寧に傾聴致します。)

もし、性憎悪の原因が性被害によるものならば、性行為の存在に向ける憎悪を、性犯罪抑止の運動に昇華させましょう。

性犯罪をこの世からなくせば、性被害は生まれないでしょう。
そうなれば、性憎悪を抱く人も生まずに済む(減らせる)のかも知れません。

そして、憎悪の感情に苦しむのなら、心の傷を癒やすことを最優先すべきと考えます。

喧噪に身を投じることが救いとなるのでしょうか。

ラディカルフェミニズムの立場に身を置く人は、性暴力被害者を、安易に論争へ巻き込むことは避けていただきたいです。

その方たちに必要なのは、他者に呪詛じゅそを投げつけることではなく、安息です

ラディカルフェミニズムを掲げる人は、まず、セックスヘイターが論争に身を投じることを、止めるのが最優先ではないでしょうか。そのためには、あれやこれやと怒りを煽って論争に駆り立てず、休息を促すことも大切でしょう。

性暴力被害者によるセックスヘイターに位置するような、自身が負った傷による憤怒に囚われた人に対しては、一刻も早く援護射撃を止めさせて戦線離脱を勧め、心いっぱいの言葉で労うことが、ラディカルフェミニズムにとっての良心だと感じます。

「これ以上、次の被害者が出ないように、社会運動は私たちに全て任せて、あなたは十分に休んでください」といえる人こそ、真に頼りがいのある人といえるのではないでしょうか。

負傷者を前線に立たせて誰を守るつもりですか。

性犯罪者を疾患者とみて治療に取り組む事で性犯罪の減少を目指すアプローチもあります。

http://www.somec.org/

対性暴力システム 女性護身術A.S.A.S. によって性被害の減少を目指すアプローチもあります。

http://parabellum.fem.jp/

性被害対策集 ~子ども向け防犯訓練から痴漢対策、自助グループ情報まで~

http://togetter.com/li/771675

怒る事って、時として大切なことではあります。

そして、そのお怒りはごもっともなのかも知れません。

ただ、その矛先を向ける相手や、怒りの発露の方法について、今一度考えてみてはいかがでしょう。

自身の怒りをコントロールすることが難しいとき、然るべき相談相手に話してみるのもいいでしょう。

次のページでは、ニュートラルに位置する人がイデオロギーに対して、どう向き合うか、
イデオロギーを掲げる人は、ニュートラルに位置する人に、どう語りかけるべきか。ということを私の視点から述べさせて頂きます。


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