私は薬が大嫌い!!(ほとんど肛門の話)

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とにかく薬が嫌い

タイトルのとおり、私は薬が大嫌いだ。

それは、物心がついたときからかも知れない。

いや、小児用の甘いシロップ薬はそんなに嫌いではなかったかも知れない。

それはさておき、私は薬が嫌いだ。

喘息の薬は嫌いだけど、吸入器はお守りだった

私は、幼少期から小児喘息を患っていて、その発作を抑えるために毎日薬を飲まされていた。

母は、私に薬を飲ませるのを苦労したと思う。

やっぱり、私はきちんと薬を飲まないので、たびたび発作は出る。

もしかしたら、きちんと飲んでいても発作は出ていたのかも知れない。今となっては定かではない。

発作が出ると、学校を休んで、かかりつけの小児科で吸入器の霧を吸いに行った。

そのたびに、主治医から「ちゃんと薬を飲もうな」といわれ、へそを曲げていた。

処方されたスプレータイプの吸入薬は、1回の使用で発作が噓の様に止まるので、お守りのように肌身離さず携帯していた。

逆に、無くなるとめちゃくちゃ不安だった。

使いたいときに、スプレーが空になって地獄を味わったこともある。

酷いときには、呼吸困難に嘔吐が重なって死にかけたこともあった。

なので、使いたいときに空になる吸入薬が大嫌いだ。

偏頭痛の薬はめっちゃ効いたけど、やたら高い!

私は偏頭痛持ちである。思い返せば、小学校くらいから症状はあった。

あれは本当に最悪だ。

閃輝暗点という、字も読めなくなるほど視界が不鮮明な状態になり、その後に、頭が割れそうなほど痛くなる。

うずくまったり、寝込んでしまうほどで、一度痛みだすと市販の頭痛薬を飲んでも全然効かない。

中学のころの話。

授業中に閃輝暗点が出てしまいった。

教師に黒板の問題の解答を求められるも文字が読めず、黒板を睨みながら立ち尽くしていた。そして「なにしとんねん!」って、怒鳴られた。

私は「字が読めんねん!」と怒鳴り返すこともなく、黙って席に着いた。

やはり授業が終わった後に、激しい頭痛が襲ってきた。私は保健室でじっと痛みを堪えていた。

喘息で呼吸器も苦しいし、偏頭痛で頭も痛くなる。もうこれは呪いかなにかかと思った。

ただ、大人になってからだが、めちゃくちゃ効く薬ができた。

イミグランという薬だ。閃輝暗点が発生してから服用しても間に合う。

運転中でも閃輝暗点が出るので困る。慌てて路肩に一時停車せざるを得ない。

そんなわけで、イミグランもお守りと化した。

不思議なことに、そのお守りを携帯している安心感からか、偏頭痛はほとんど起こらなくなった。

偏頭痛の原因には、セロトニン説や神経説や複合理論というものがある。

これらの仮説に基づくと、ストレスや不安は、偏頭痛を引き起こす一因なのかも知れない。

ただ、このイミグランは薬価がバカ高い!

なので、私はイミグランの薬価が大嫌いである。

座薬は恥ずかしいから、大嫌いだった!

中学を卒業するころ、また別の病気が発症した。

今度の病気は、とても厄介な病気だ。

ざっくりと説明する。

まず、TNF-αというサイトカインの1種がある。

これは、腫瘍壊死因子なのだが、身体に炎症を引き起こす物質でもある。

このTNF-αが悪さを働く場所によって、病名は変わってくる。

関節で悪さを働けば「関節リウマチ」となる。

皮膚で悪さを働けば「乾癬」となる。

消化器のうち、下部消化器(大腸)で悪さを働けば「潰瘍性大腸炎」となる。

口から肛門までの全ての消化器で悪さを働けば「クローン病」となる。

全身の、複数の臓器で悪さを働けば「全身性エリテマトーデス」を含む「膠原病」となる。

これらは大雑把にいうと、自己免疫疾患のようなものである。

なんせ、このTNF-αという野郎は、身体に炎症を引き起こしてしまう厄介な奴なのである。

そんな厄介な奴が、私の消化器を蝕んだのだ。

「これから高校生」という時期に、私は四六時中、痛みで転げ回っていた。

体重も1ヶ月で10㎏以上も減った。貧血で気を失うこともしばしば。

元々、私の身体能力はそこそこ高く、14歳の頃は、50m走も素足で走って6.7秒台だった。

ちなみに、14歳の平均タイムは、7.54秒と言われている。

バレー部に所属しながらも、部活に顔を出さず帰宅部状態で、トレーニングなど一切せず、毎日だらだら遊び呆けていても、この脚力である。

それが、たった1ヶ月で、歩くのも精一杯な状態になった。

腕力も脚力も失われた。体力も気力も尽きた。精神力も果てた。学力は元々なかった。

それはまるで、奈落の底に突き落とされたような気分だった。

もちろん、病院には行った。

「胃炎」「十二指腸潰瘍」「コーヒーの飲み過ぎ」

行く先々で、色々な診断をされ、出された薬を服用するも、ぜんぜん治る気配なし。

唯一、解熱鎮痛消炎剤であるボルタレンだけは、それなりの効果があった。

服用から数時間は、まぁまぁ痛みがおさまる。

薬嫌いの私は、当然ボルタレン座薬すらも極力使いたくなかった。

なんせ、座薬だからだ。

肛門から入れる薬だ。肛門は出すところだ。入れるところではない。

一体、なにを考えてるんだ。(直腸は吸収が早く、経口投与よりも早く効き、胃が荒れる心配もない)

今は穢れきって薄汚れた私も、当時は16歳。多感で思春期真っ只中の少年である。

当時の私は、座薬を使っていることを周囲に悟られたくなくて必死だった。

入院中、無神経な看護師に「クロノスくーん。座薬、床頭台に置いといたから~。」と、遠くから大きな声で言われて「あぁぁあああ!!!はぁあぁああい!はいはい!!ありがとうございます!!(怒)」と、こちらも食い気味に返事をして、その声をかき消そうとしていた。

そういえば、処方されたものを自分で使用していたが、最初は看護師に入れられていた。

十代半ばの少年だった私だ。それは耐えがたかった。

当時は、そんな座薬が憎くて仕方がなかった。

なので私は、ボルタレン座薬が大嫌いだった。(今でも別に好きじゃないぞ)

ステロイドでムーンフェイスになるのは辛かった

私は、その後も対処療法を続けながら、身体を蝕む病魔の正体を掴めず、病院を転々としていた。

そして、とある病院で検査を受けたのち、こう告げられた。

「お子さんの病気は、炎症性の消化器疾患です。」

私は始めて聞く診断結果に、「もしかして、今度こそ治せるのか!」と喜び勇んだ。

母が「それは、どれくらいで治るんですか?」と医師に聞いた。

医師「治る病気ではありませんが、寛解といって、症状を抑えることはできます。」

母「治らないんですか?一生?」

医師「はい、今の所は、完治させる方法は見つかっていません。」

「治せない」という医師の言葉に顔色が変わる母をよそに、私は「症状を抑える事ができる」という言葉に救われていた。

「この苦痛を抑えることさえできれば、それは治ったも同然だ」と、希望的観測から都合良く解釈していた。

このときはまだ、その病気が国の指定難病で、内部の身体障害であるとは知るよしもなかった。

そう、現実は甘くなかった。

すぐに炎症がでる。どう表現すればいいのだろうか。

腹の中が焼けただれているかのような痛さ。消化器全体に口内炎ができたかのような痛さ。

症状が酷い場合は、継続的なステロイド投与で炎症を抑える。

服用していたのはプレドニゾロンという薬。

炎症がひどくて痛みもがきのたうち回る状態でも、それを投与すればすぐに効果を感じられた。

2~3日で、少し元気になる。

しかし、その副作用で顔がパンパンに腫れる。

また、背中にニキビのような発疹がたくさんできる。

今では考えられないが、当時は投与前に薬の説明はなく、副作用も知らされずに飲まされていた。

私は知らずに服用し、顔がパンパンに腫れて発疹ができたから驚いた。

それも徐々に減薬して治まっていったが、最初は驚いた。

多感な思春期。私はステロイドが大嫌いだった。

ポツンと置かれた缶が憎かった

炎症を抑えるためには、日常的に炎症の元になる食材の摂取を避けなければならない。

炎症の元になる食材が何かというと、それはもう、世の中のほとんどの食材である。

食べても問題がない食材を挙げた方が早い。

お粥とかうどんとか、味噌汁の上澄みとか。

当時は、それすらも食べない方がいいとされた。無茶苦茶だ。ふざけるな。

食事が摂れないなら、代わりに液体の成分栄養剤を摂取する。

入院中、その病院では、エンシュアリキッドという成分栄養剤を出された。

消化器を安静にするために絶食をさせられ、ハンバーガーもラーメンも食べられない。

長いときには半年間も絶食させられたこともある。無茶苦茶だ。ふざけるな。

食事時に、エンシュアを一缶、ポンと床頭台のテーブルに置かれる。

これは、かなりイライラする。

十代半ば。食べたいものを食べられないせいでストレスが溜まる。

そんな状態のときに、美味しくもない栄養剤を、さも飲んで当然の様に出される。

無茶苦茶だ。ふざけるな。

私は、このエンシュアリキッドが大嫌いだった。(今なら割と飲めるかも)

不味さの極みアヘン

その後も、入院して絶食とステロイド投与。退院後は食事制限。

食事制限しようがしまいが、結局は炎症が起こって再入院。これを何度も繰り返した。

高校時代、どれだけの日数を病床で過ごしたかわからない。

どれだけの日々を、病院に持ち込んだゲームをしながら過ごしていたかわからない。

(クロノトリガーをめちゃくちゃプレイしたことは覚えている。)

退院後、夜は痛みで眠れずに何度も目が覚める。昼間も眠いが痛い。

常に炎症がある中、痛み止めが効いているほんの少しの時間。それが僅かな睡眠時間だった。

「寝る子は大きく育つ」「たくさん食べて元気になれ」大人が当たり前のように子どもにいうセリフ。

私には、その通りにすることが困難だった。

周囲は青春を謳歌している中、私は地獄の日々を送っていた。

比較的、調子のいい時は、歯を食いしばってでも遊んだ。

私は病人である以前に、遊ぶことが大好きな十代の少年だ。当然だ。

昔は他校も合わせて100人くらいいた友人が、どんどんと減っていった。

そりゃそうだ。みんなで、楽しくわいわいやっているのに

「悪い。ちょっと先行っててくれ」

いきなり痛みで身動きが取れなくなる。

なんとか堪え凌ごうとするが、痛みは治まらない。

そのまま青ざめた顔で、しぶしぶ家に帰る。

それを繰り返していく内に、どんどん疎遠になっていく。

私が痛くて横になってても、何も言わず、漫画を読んだりゲームでもしながら気長に待ってくれる。

入院しても見舞いに来てくれる。

そんな友達だけが周囲に残った。

本当の友人と共に、私はなんとか高校を卒業して、専門学校に進んだ。

その後も相変わらずである。入退院の繰り返し。

だが、少しだけ転機が訪れた。

それまでは、小さなクリニックがかかりつけ先だったが、入院先を大学病院に変えた。

そこには、同病の患者が大勢いた。患者会にも参加した。

「難病あるある」で話に花が咲いた。

「あれ食べたい」「退院したらあれがしたい」そんな話ばっかり。

私は積極的に参加はしなかったが、「どのナースが好みなのか」という下世話な話でも盛り上がったりもした。(中学生かよ!)

入院中に隠れスポット(外来の待合の一角)で、たまに隠れて夜食を食べることも教わった。(絶対ダメ!)

おかげで、苦痛でしかなかった入院生活が、以前よりもすこし楽しくなった。

それでも、やはり病状は進行していく。

悪化と寛解を繰り返すが、病巣は深くなり広がっていく。

治ることはないのだから、当然といえる。

ただ、再入院しても、同病の患者仲間から「おかえり」と明るく声をかけてもらえる。以前の入院先より気持ちは明るくなった。

それでもやはり、この病気は非常に辛い病気だ。

ある日のことである。

朝からやたら病棟がざわついていた。

同病の患者さんが、深夜に病棟の窓から身を投げて亡くなったことを聞かされた。

驚きやショックや、様々な思いが頭をぐるぐると回った。

にわかには信じがたい。受け入れる用意ができていない。そんな感じだ。

さらに月日は流れたある日。

仲良くさせて頂いていた同病の患者さんが、手術の結果、敗血症で亡くなった。

「治らないけど死ぬことはない」

散々聞かされていたが、そうではないと知った。

悲しみや驚きや恐怖心、様々な思いが心を巡った。でも、現実を受け入れざるを得なかった。

私も他人事ではなかったのだ。

やがて、手術が避けられないほどまでに私の病魔は進行していった。

手術しても治らない。失った臓器は戻らない。それでも手術は避けられなかった。

私はその後、何度か身体にメスを入れることになった。

消化器を失うと、当然の様に消化機能が下がる。

そのせいで、トイレの回数が尋常じゃ無いくらい増えた。

酷いときには、10分置きにトイレに駆け込んでいた。頭の中はトイレのことばかり。

消化管が空っぽにならないと、気が休まらない。

もちろん、止瀉薬は処方される。

しかし、一般的な止瀉薬なんてぜんぜん効果がない。

恐らく、止瀉薬としては最強の部類であろう、アヘンチンキが処方された。

これは「アヘン末をエタノールに浸出させたもの」とある。

アヘンとは、阿片戦争の阿片。アヘンアルカロイド系麻薬だ。

鎮痛や、鎮咳の他、強力な止瀉薬として用いられる。

医療用とはいえ、麻薬と聞くと抵抗を持つ人もいるだろう。

字面だけ見れば、怖くもなるだろう。

だが心配はご無用。

しばらく服用していたが、麻薬っぽさを感じた事は一度も無い。

麻薬っぽさというのは、私のイメージでは夢見心地になることなんだが、そんなもんは一瞬もなく、相変わらずシビアな現実に苦しまされ続けていた。

この先も一生、辛い現実を突きつけられるなら、少しくらいは、夢見心地になりたかったくらいだ。

なんといっても、アヘンチンキはとんでもない味がする。

これも辛い現実の一つだ、クソッタレ!

背に腹は変えられないとわかっていても、中々口に含めない。

それを飲んだ後は、チョコレートを口に放り込んで、味の濃い飲み物ですすいでいた。

そうしないと暴力的なまでの不味さが、私の味覚を容赦なくぶん殴る。

この世のものとは思えないくらい不味い。

夢見心地どころか、一気に悪夢心地になる。

元々、阿片は天然の植物由来。芥子の実から採取される。

天然の植物由来ってなんかオーガニックっぽい。(全然オーガニックでもないだろうけど。)

ちなみに、芥子の実は七味唐辛子に入っている。

七味唐辛子には、麻の実も入っている。

麻とはマリファナ(大麻草)である。

尚、七味唐辛子の芥子の実も、麻の実も、特別な調理加工を施されているので、食用としては問題無い。

えっと、なんの話だっけ…。あ、そうそう。アヘンチンキの話だ。

そう、アヘンチンキも医療用としては問題ない。だが不味い。

当然、私はこのアヘンチンキが大嫌いだった。

ただ、服用中はトイレの回数が少し減って助かった。

あんときゃ辛かったよブスコパン

発症から10年以上経った私に、最大の危機が訪れた。

腹部に膿瘍が出来た。

膿瘍とは、膿が溜まる袋だ。

それは、どんどん大きくなった。ゴルフボールくらいの大きさが、最終的にはテニスボール大になった。

ここから少し話がややこしくなる。

その頃の私は、大学病院のK医師と折り合いがつかず、以前、同大学病院に勤めていた、主治医のO医師の後を追って、別のV病院にかかっていた。

後にそのO医師は、小規模なO医院を開業したので、そのV病院も退職した。

大学病院でもなく、元大学病院のO主治医もいないその病院では、私の病状を持て余した。

目が黄色くなるまで抗生剤を投与されるが、膿瘍は日に日に膨らむばかり。

膿瘍のある脇腹付近は、カチカチに堅くなっている。耐えがたい激痛だ。

しかも、腸管に狭窄があって、腹部膨満感が膿瘍を圧迫して更に痛む。

夜中に、あまりにも痛いので鎮痛剤の追加を頼んだら、T医師からブスコパンを点滴された。

ブスコパンは、痛み止めであるが、腸の動きを弱める作用がある。

検査前に投与されると、ものすごく楽になったこともあるし、これは有用な薬だ。

ただこの時は違った。

ブスコパンを投与された結果、余計に腹部の膨満はひどくなった。ブスコパンが原因ではないかも知れない。たまたま、タイミングが重なったのかも知れない。

ただ、その時の私はあまりの痛さにそんなことを考える余裕はなかった。

痛い、苦しい、眠れない、どんどん悪化する。このままではヤバいと感じた。

とても動ける状態ではなかったが、T医師に怒りをぶつけながら、外出届けを出して、自分の運転で、他の病院に飛び込みで診察に行った。今考えると自殺行為だが、その時は完全に冷静さを欠いていた。

車で片道2時間をかけ、死にものぐるいで向かったL病院では、受け入れは無理だと言われた。

しぶしぶ元の病院に戻った。しかし、私の無謀で乱暴なセカンドオピニオンは、間違ってはいなかった。

向かったL病院の院長が、私の事を気にかけてくれていたらしく、小規模な医院を開業した先程のO医師に連絡を取ってくれていた。

私の携帯に、その元主治医であるO医師から電話がかかってきた。

抗生剤は黄疸がでるけど、そんなことをいっている暇はなかった

「話は全部聞いた。大学病院に連絡しておいた。今すぐにでも入院できる手筈を整えた」

O元主治医は、私に言った。

私はO医師に、「知ってると思うけど、大学病院には、折り合わないK医師が主治医になるから行かない」と断った。

「安心していい。そのK医師じゃなくて、違うT医師が主治医になるように話してあるから。」

その「T医師」のことは、よく知っている。

T医師は、まだ新人の頃、O医師の元で学んでいた医師だ。当時はまだ新人だったが、いかにも「出来る人オーラ」が出ていた。彼は実際に出来る人で、現在では医学博士で助教で内科部長だ。

私は「だったら、すぐにでも転院します」と頼んだ。

「救急車を向かわせよう」という提案を受けたが、「いいえ。自分で行きます」と断った。(正気の沙汰ではない)

私は再び、2時間かけて自力で運転して、大学病院に向かった。無謀な行為だが、その時は正常な判断ができない状態だったのだと思う。

どんな状態かというと、CTやレントゲンや、色々な検査の結果、膿瘍の下が腹膜炎を起こしていた。

腸に穴が空いて、膿瘍と癒着して繋がっていたのだ。腹壁も倍くらいに厚みが増していた。

炎症を示す数値も、正常値が0.3以下だが、その時は40を越えていた。これは、医者が驚く数値だ。

その採血の結果をフリーザが見たら、「…!なんだこの炎症反応数値は!?」

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ってなっていたと思う。

私の主治医となったT医師は「これから、全力を尽くす。必ずなんとかしてみせるから。」と力を込めて言った。心強かった。助かるんだと安堵した。

さらには「月に3本しか入らない薬を全部君に回すから」とも言っていたが、それがどんな薬なのかは今となってはわからない。おそらく、小さな瓶の点滴だったと思う。

それからまず、抗生剤の種類を見直した。

抗生剤は黄疸が出て、顔が黄色くなるから大嫌いだ。とか言っている余裕なんて無かった。

なんせ、腸管穿孔で腹膜炎の状態だ。

痛み止めも強力なものに変わった。

6時間置きにロピオンを点滴から投与。これは、手術後や各種癌に用いられる痛み止めだ。

そして、その間はペンタジン。これも強力な鎮痛剤で、各種癌に用いられる。

ペンタジンは、点滴ではなく肩に注射するのだが、なんども肩に注射すると、そこがカチカチに堅くなって腫れる。

なので、私はペンタジンが大嫌いだ。とか言っている余裕はなく、その頃には意識が朦朧としていた。ペンタジンに意識が朦朧とする効果があるが、それが原因ではなく、病巣に体力を奪われていったからかも知れない。

意識が朦朧としても、痛みからは逃れられなかった。

痛みに耐えるため、常に全身に力を込めて、身体をこわばらせているだけでも、かなりの体力を消耗する。

その結果、高カロリー輸液を24時間常に点滴されていても、私の体重はどんどん減っていく。

師長さんは怖かった

薬だけではどうにもならず、膿瘍に穴を開けて膿を排出するためのドレーンチューブを入れた。

そもそも、薬だけでどうにかなるわけではない。

本来は、腸管穿孔ないし、腹膜炎がある場合は、すぐさま緊急手術になる。

しかし、その時の私の状態で手術をするのはかなりのリスクがあった。

敗血症になって死亡するリスクがあったのだ。

膿瘍を抑えて、体力を回復する必要があった。

私は、毎日ひたすら痛みに耐え、手術ができるまでの体力が回復することをひたすら待った。

その間、とある人の事を思い出した。

徳島からきたという女性だ。

ご主人が、背中の膿瘍を手術するために入院していたらしく、そのことでよく話をしていた。

しばらくして、手術を受けたご主人は、残念ながら亡くなられたと聞いた。

そんな事を思い出したのは、私も覚悟を決めるためだったのかも知れない。

当時の彼女であった妻が、師長から「さすがに今回は無理かも知れない」と告げられたことを、後々聞かされた。膿が溜まりきって膿瘍が破裂すれば、腹腔内がめちゃくちゃになる。

私の体力が回復していなくても緊急手術に踏み切るしかない。そうなれば、死亡リスクも高まる。

そりゃ、「無理かも知れない」と思うだろう。

ちなみに妻は、その師長の元部下である。

この師長は、本当に怖くて、私はよく怒られたものだ。

若かりし当時の私は、この師長が大嫌いだった…が、どう考えても不真面目な私が悪い。

ベッド周りを散らかしてた私が悪い。

夜更かしをしていた私が悪い。

その節はご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございませんでした。

ファンギゾンシロップは不味くて面倒くさい

だいぶ話が逸れたが、そんなこんなで、体力がそれなりに回復し、手術を受けることになった。

入院から、ここまで3ヶ月の話だ。

腹膜炎を起こして、CRPという炎症反応を示す数値が40を越えた状態で、数ヶ月も耐えたのだ。

本来なら、倒れ込んで救急車で運ばれて、そのまま緊急手術になるような腹膜炎である。

膿瘍から手術の部分が長くなったので、ここからはペースを上げよう。

手術前の検査を一通り終えて(息をまともに吐けずに肺活量検査に難儀したりして)、手術を受けた。

勿論、手術は成功。だから今、このブログを書いている。

手術によって、大腸ほぼ全てと小腸の一部を失ったが、生き延びることができて良かった。

その後の手術創

その後の手術創

その後は、後遺症に悩まされるのかと思ったが、抗TNFα抗体製剤のおかげで、今度こそ本当に寛解維持ができるようになった。

とはいえ、完全に治ったわけではない。

まだまだ色々な合併症に悩まされることもある。

例えば、食道にカンジダができたりする。

カンジダ菌は、誰の身体にも存在する常在菌だ。

身体が弱って、その常在菌なんぞに負けるのだ。

このときに服用するのが抗真菌薬のファンギゾンシロップ。

この薬、例のごとくクソ不味い。

クソ不味いだけじゃない。面倒くさい。

ピペットで量をきっちり計って服用しなければならない。

外出先であろうとピペットで慎重に量を計る。

クソ面倒くさい計量にあとに、クソ不味さ。ダブルパンチだ。

だけど、カンジダはつらい。水を飲むのも痛い。唾液を飲み込むのも痛い。

当然、食欲は失せる。どんどん衰弱していく。そのままだと、衰弱死するだろう。

だから、クソ面倒でクソ不味いファンギゾンを飲まなければならない。

もちろん、私はこのファンギゾンが大嫌いである。

アルロイドGは不味さの追求でもしてるのか

不味いと言えば、アルロイドGも相当な不味さだ。

アヘンチンキも、ファンギゾンも、アルロイドGも

「この薬は何よりも不味さをとことん追求しました!」

みたいな、味の不味さを競っているのかとさえ思うくらい。

祖母が亡くなる直前の入院で、このアルロイドGを飲まされていた。

祖母はとにかく温厚で、私を猫可愛がりしていた。

そんな温厚な祖母でも、「こんなもの飲むくらいなら死んだ方がマシ!」とキレた。

私は、祖母に一日でも長く生きして欲しいと心から願っていた。

でも、死ぬことよりも飲むのが辛い薬を、無理強いするのも気の毒だった。

私は、どうしていいのかわからず、せめて少しでも飲みやすくするために、冷蔵庫で更に冷やしたりした。

祖母も、私も、このアルロイドGが大嫌いである。

その他、色々と嫌いなのでまとめて列挙

多分、嫌いな薬を全て列挙していけば、3万文字くらいになりそうだ。(話も脱線しそうだし)

ここからは、ダイジェストでお送りする。

大建中湯

私は腹部膨満感に悩まされることが度々あった。

そこで処方された大建中湯は、腹部膨満感を和らげる漢方薬。

基本的に漢方薬は不味くてほとんど嫌い。

ソリタ-T3

私は経口で水分を摂取しても、消化管がしっかりと吸収しないので、脱水気味になる。

そうなると、電解質異常を引き起こす。入院中なら、点滴を打てば大丈夫だが、普段はそうはいかない。その場合、ソリタ-T3が処方される。

顆粒を、水で溶きドリンク状にして服用する。それが面倒くさいので嫌い。

というか、OS-1でいいじゃん。

イントラリポス輸液

私の消化管は、水分をしっかり吸収しないのならば、油分もしっかり吸収しない。

となれば、油分を補う必要がある。

油分が足りない状態というのは、かなり弱っている状態であり、だいたい入院中。

その時に投与されるのが、イントラリポス輸液。

大豆由来の必須脂肪酸を点滴で投与する。

輸液の色は乳白色。まるで豆乳を点滴されているような気分になる。なんか嫌。

ヒルロイド

脂質が足りなければ、肌もカッサカサ。

酷いときには、ひび割れて出血するくらい悪化する。

そんな時に処方されるのがヒルロイドローション。

血行促進効果のあるヘパリン類似物質で、保湿効果もある。

私は、基本的に乳液とかクリームとか、身体に何かを塗るのは嫌い。

ベタベタするのがなんせ嫌い。

でも、乾燥しすぎてヒリヒリ痛む時はしょうがない。

後は、しもやけにもめっちゃ効くので助かる。

ネットで、美容目的にこのローションが良いと噂されているけど、多分、そんなことはない。

これで肌が綺麗になるのなら、今頃、私の脚はもっと綺麗なはず。

それに、本当に美容効果があるなら、製薬会社はすぐに美容液として市販するはず。

例えば、処方箋薬にセルベックスがあるが、市販薬向けとしてセルベールがある。

いずれもエーザイの胃薬。

ヒルドイドは、飽くまで皮膚疾患用の処方箋薬。お間違えなく。

モーラステープ

モーラステープは経皮鎮痛消炎剤。湿布みたいなもの。

膿瘍の手術時、内側からごっそりと組織を掻爬したのだが、その時、脇腹の腹筋も含まれていたらしい。

疲れたりすると、その古傷周辺部分が痛くなる。

脇腹がぼっこり膨れて、こむら返りのようにピクピクして攣る。これは原因がわからないらしい。

どうしようもないので、攣ったらすぐにぎゅーっと掴んで揉んで、少し落ちついたらモーラステープを貼る。

そうすると割と治まる。今はこれしか対処しようがない。

ただ、モーラステープは剥がれやすい。服の裏側にひっついたりする。そこが嫌い。

ビオスリー

乳酸菌の錠剤。

抗生物質で死滅した乳酸菌を補う。単純に整腸作用もある。

なんかわからんが、懐かしい味がする。

これは好きでも嫌いでもない。ただの乳酸菌だし。

プロマック

これは、胃粘膜を保護する薬。

胃潰瘍に処方されたりする。

亜鉛補給に応用されることもある。

私は、その亜鉛補給が目的で処方されている。

味は、爽やかなミント系。

おお!いい感じのフレーバーを加えることもできるんじゃん!

他の薬も頑張れよ!(怒)

コデイン リン酸塩

コデインは、オピオイドである。処方箋麻薬として扱われる劇薬。

コデインは、ブロチンコデインとして市販薬にも含まれることはあって、医師や薬剤師の指示に従い、用法用量を守って服用する限りは問題ない。

ん?ブロチンコデイン?(特に意味は無い)

麻薬性中枢性鎮咳薬であり、鎮咳薬として処方されるのが一般的。

麻薬という言葉に抵抗を覚える人はいるかも知れないが、違法麻薬とは全く別ものと考えていい。

コデイン リン酸塩には、腸の動きを抑えて肛門括約筋を締める効果もあり、止瀉薬としても処方される。

私は、止瀉薬として処方されていて長年服用しているが、口渇の副作用くらいしかない。

これはアヘンチンキに比べると、錠剤なので飲みやすい。

小腸が大腸機能をそこそこ補うようになったのと、抗TNF-α抗体製剤のおかげで、トイレの回数は劇的に減り、もう止瀉薬はそんなに必要ないが、やはり外出時は心配なので一応服用している。

そうそう。小腸が失われた大腸の機能を補うのだ。人体ってミラクル。

プロクトセディル軟膏

痔の薬。

なんせ、肛門は荒れやすい。

この軟膏は外の痔にも中にも注入できる。

腫れや炎症を鎮めたり、止血や殺菌作用があるほか、

局所麻酔成分も入っていて、痛みに即効性がある。

難産な時にも役立つ。

今まで処方された薬の種類は数え切れないくらい

ここに列挙しきれないが、過敏性腸症候群の薬であるイリボーとか、機能性ディスペプシア治療薬のアコファイドとか、制吐剤のプリンペランとか、胆汁分泌を促進させるウルソとか、その他にも色々な薬を処方されてきた。これらはごく一部だ。他科も含めると、ほんとうに多い。

それも仕方がない。なんせ合併症が多い。

気を抜くとすぐに軽く脱水気味になるので、3大激痛といわれる尿管結石も、例外ではない。

この様に、今まで、体中のあちこちが不調になった。

その度に、薬が増えたり減ったりして、1回の服用で、「小さめのお茶碗小盛り」くらいの量を飲む事もあった。

ただ、医療や医薬は日進月歩だ。

今となっては、かつての私は想像だにしなかった医薬品や医療技術が生まれた。

その一つである抗TNF-α抗体製剤は、私にとってはなくてはならない存在だ。

この薬のおかげで、ほぼ健康体といえる状態で寛解維持ができている。

なんせ、炎症を引き起こす悪さの根源であるTNF-αそのものを抑えるのだから、効果てきめんなのだ。食事制限からも解放された。

思い返せば、肛門系の検査に苦しむ日々だった

日進月歩なのは、医薬品だけではない。

検査も昔に比べると、ずいぶん楽になった。

思い返せば、私は今まで数々の検査を受けてきた。

腹部レントゲン、胃カメラ。

鼻からチューブを入れて、それを小腸まで進め、バリウムを流す小腸透視検査。

鼻からカメラを入れて、そのまま小腸まで検査する小腸内視鏡検査。

肛門から、なんかでっかい浣腸みたいなのを挿して、バリウムを入れる大腸の注腸検査。

肛門から、カメラを入れて大腸を検査する、大腸内視鏡検査。

肛門に、アホみたいに太い棒を突っ込まれる、直腸エコーとかいう検査。

肛門鏡とかいう鳥のくちばしみたいな形のを突っ込まれて、くちばしをグイッと広げられてライトで照らされたりもした。

肛門にチューブを挿されて、微温湯を入れたり抜いたりして腸洗浄もされた。

今は、ニフレックという経口の下剤みたいのがあるので検査前に腸洗浄はない。

というか。後半、肛門系の検査ばっかりかよ!

それも、10代半ばの思春期にだ。心がズタズタだわ!!!

でも、恥ずかしさよりも、なんせ苦しかったし痛かった。

ただでさえ、炎症や潰瘍まみれの腸を、カメラでグイグイ、ゴリゴリと痛めつけられるのだから、めちゃくちゃ痛い。カメラが血で真っ赤に染まっていた。(そのたびにカメラの先から水が出てレンズを洗う)

最近では、検査時にセデーションが行われるようになったことで、かなり楽になった。

セデーションとは、ドルミカムなどの薬を投与して意識を落とすことである。

私としては、「今、ドルミカム入りましたよ~」という声の後からベッドで目を覚ますまでの間、一切記憶がなかったりする。

その間も、「意識ははっきりしていて、しっかり受け答えしていた」と医師や看護師から聞かされるも、全く記憶にない。

記憶にない間、私は何を話していたのか定かではないので、少し怖い気もする。

たまに効きが遅く、意識がはっきりしている事があるが、苦悶の表情を浮かべていると「痛いですか?」と聞かれ、「はい」と答えると、すぐさま点滴の横からドルミカムが追加される。

なので、以来は検査が全然苦痛ではなくなった。

ちなみに、ドルミカムはベンゾジアゼピン系の麻酔導入薬、及び鎮静薬。

ベンゾジアゼピン系の医薬品には、抗不安薬や睡眠導入剤もある。

昔も、鎮痛剤は点滴投与されたが、ドルミカムと比べると全然甘い。

このように、医学の進歩により、昔ほど病院や検査や薬が嫌いではなくなった。

薬は大嫌いだったけど、私には絶対に必要な生命線だった

ここまでお読み頂きまして、お疲れさまです。

これから、本題に入ります。

これらは、全部フィクションではありません。実話です。

実際に、私が経験したことのごく一部です。

ご覧のとおり、私は今まで散々、薬で嫌な思いをしてきたわけです。

だけど、薬がなかったら、もっと悲惨なことになっていたでしょう。

薬がなければ、とっくに死んでいてもおかしくないと容易に想像がつくはずです。

そして今後も、私には薬や医療が必須です。

医学や医薬の進歩によって、我々はQOLを格段に向上させているわけです。

QOLとは、生活の質という意味です。人生の質といってもいいかも知れません。

人生の質。それは若いときから、何度も何度も考えました。

そして「生きるとはなんだ」という問い。これを一番多く自問自答しました。

好きな事を思うだけやって、短く太く生きるのがいいのか。

徹底的に摂生して、長く細く生きるのがいいのか。

この苦しみから逃れるために、もう生きるのを諦めることがいいのか。

否応なく、目の前に迫る死を受け入れるため、どうやって心を整理しようか。

医療によって取り留めた命、この先どう活かそうか。

自分や、身近な人の生死について考えることは、はっきり言ってしんどいです。

できれば、そんなことを考えずに脳天気に過ごしたい性格です。

でも、私は考えざるをえない境遇に立ってしまいました。

2008年5月9日、私の弟は、この世を旅立ちました。

2008年5月11日、母の日に、一輪のカーネーションで、弟と私を産んだ母を祝いました。

2008年5月12日、四川大地震が起きて、大勢の方が亡くなられました。

私は、生や死の意味をどれだけ考えたかわかりません。

どれだけ考えても決定的な答えは見つかりません。

それは、簡単に答えが見つかるべきことではないのかも知れません。

これから先も、まだまだ考え続けるでしょう。

現時点でハッキリ言えることが一つあります。

それは、今はまだ死ぬわけにはいかないということです。

私は、最後の最後まで、しぶとく生き抜いてみせるつもりです。

そのためには、医療や医薬品が必須です。医薬品を奪われることは、私の人生を壊されることになりかねません。

世の中には、標準医療や医薬品を否定される方がいます。

私だって、薬が好きなわけではないですが、それが無いと生きられないことはわかっていただけたと思います。

ですので、安易に、標準医療や医薬品を否定しないでほしいと思います。

世の中に医療への不信感が募ると、ドラッグラグなどの問題が生じます。

医療に対して不信が募った結果、効果の定かではない健康食品や祈祷にすがる人もいます。

その場合、助かるはずの命が助からない場合もあります。

これまでの私の話の途中で、もし仮に、医療に対して不審を募らせた結果、健康食品や祈祷にすがっていたら、どうなっていたでしょう。

ドラッグラグによって、抗TNF-α抗体製剤やその他医薬品がが未だに承認されていなかったら、どうなっていたでしょう。

必要な人に、必要な医療が届くこと。それが、私の切なる願いです。

拙い文章でしたが、最後までお読み頂き、ありがとうございます。


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