表現の自由は盾か刃か

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この記事の所要時間: 421

はじめに

私は表現の自由に関する話題に敏感です。

これまで、さまざまな創作や表現に対して言及してきました。

自身の発言をさかのぼってみると、圧倒的に批判的な論調が多いです。

その理由は「表現の自由を最大限守りたいから」です。

矛盾しているようにおもえるでしょうが、表現の自由を守りたいからこそ逸脱した表現に批判的であろうというスタンスです。

批判的思考は最適解を模索する道

過去に私が批判した表現を挙げます。

資生堂INTEGRATEのCM

丹羽良徳氏による現代アート「88の提案」

集英社ジャンプ+α編集部が性的イラストを女子トイレ入口に掲示した件

東京メトロの駅乃みちかの件

うな子問題(志布志市によるふるさと納税のPR動画)

厚生労働省の「年金マンガ」の件

「#医療者をイラつかせる一言」というハッシュタグについて

週刊少年ジャンプに掲載された「ゆらぎ荘の幽奈さん」の件

これらは一部ですが並べてみると、私はまるで表現規制推進派に見えるとおもいます。
私は表現を批判ばかりしているので表現の敵なのかというと、そうではありません。

これは批判的思考的(クリティカル・シンキング)な態度です。

批判的思考のプロセスは?

①情報を明確化する(報道,発言,書籍などの主張と
それを支える根拠を正しくとらえる),②推論
をするための土台を検討する(隠れた前提を明
らかにしたり,主張が信頼できる証拠に基づい
ているかを検討する),③推論を行う(演繹・
帰納・価値判断によって,偏りのない結論を論
理的に導く),④意思決定や問題解決をする。

良き市民のための批判的思考(pdfファイル)

私は、ただ攻撃したいのでもなく、ただこきおろしたいのでもないのです。

私は問題点を明確にして最適解を考えるために指摘したいと考えています(もちろん批判や指摘ではない、単なる感想を述べているだけの場合もありますよ)

私は、表現の自由を保護したい立場であり、表現規制反対派なのです。

重要なのは公か私か

私が以前から一貫して述べているのは「それはオープン(開かれている)なのかクローズド(閉じているの)か」「それはパブリック(公的)かプライベート(私的)か」ということです。

「不特定多数を対象にしているのか、限定的な相手を対象にしているのか」という問いは、見たくないものを見ない権利を尊重しているか否かという問いです。
ある程度予見できるものは見ることを避けられますが、通り魔的に見せられると回避は難しいです。

例えば、ネットは「不特定多数の目に触れる」ので「公的」であり、LINEやメールなどは手紙と一緒でクローズドな「私信」として扱われので「私的」となるわけです。
公共の場とクローズドな場も「公的と私的」として区別されるべきなのです。

更に具体例を挙げていきます。

「トイレで下半身を露出する」「銭湯で裸になる」→私的空間なのでOK
「路上で下半身を露出する」「公園で裸になる」→公的空間なのでNG
これは明快ですね。

「部屋でエロ本を読む」「ホテルの個室でエロ動画を見る」→OK
「路上でエロ本を掲示する」「学校でエロ動画を流す」→NG

「喫煙室で煙草を吸う」「シガーバーで葉巻を吸う」→OK
「路上で煙草を吸う」「公園で葉巻を吸う」→NG

「バイクでサーキットを爆走する」「私有地で車のスピードを出す」→OK
「バイクで公道を暴走する」「一般道での運転で速度超過をする」→NG

これは表現規制の話というよりTPOをわきまえることとゾーニングの徹底による、双方にとっての平和的な棲み分けの話です。

トイレの個室で用を足すのはプライベートな空間での行為なので、そこに他者が入り込むのは権利侵害なわけです。
私的領域での私的行為は(自身の健康を著しく損なったり他者の権利を侵害しない行為に限り)しっかりと保護されるべきという話になります。
つまり、購入したエロ漫画を自室で読む権利も他者に侵害されるべきではない、ということです。

公私のけじめを重要視する

「それはパブリック(公的)かプライベート(私的)か」という問題は「公的機関による表現か、私企業や個人による表現か」という問題です。
行政や公的機関は特に厳格さが求められます。嫌いな個人の作品、嫌いな企業の商品やサービスを選択しないというのは比較的容易です。

一方で自治体や行政や公的機関による公的サービス、あるいは公共交通機関などの公共インフラを「嫌いだから選択しない」というのは難しい場面もあります。
なので、公的機関にはより一層の正確さや厳格さが求められます。

公的資金の私的流用や私的消費も許されませんし、公人が行政に関わる職務で個人の趣味に走ることも許されないわけです。
「エロいことが大好きな公人」がいても構いませんが、個人の趣味はプライベートで楽しみましょうって話です。

これは逆にいうと、公人の公務外でのプライベートな領域に、我々はあまり踏み込まないようにしましょうということでもあります。
公務さえまっとうにこなしてくれれば、公人であってもプライベートな部分にまで潔癖さや清廉さを求めなくても構わないとおもいます。

公人も我々と同じ人間です。勝手に神聖視や美化しておいて、勝手に失望して振り回すというのも気の毒におもえます。
人間だれしも気を緩める時間がなければ疲弊します。疲弊すれば本来のパフォーマンスを発揮できなくなっても無理はありません。

それは教師であろうと弁護士であろうと医師であろうと聖職者であろうと政治家であろうとおなじです。専門的な話以外は、一般的な扱いで構わないとおもいます。

私が政治家を評価するときは公務の結果だけです。パーソナリティやプライベートは問いません。
むしろ、そういったものまでを加味すれば判断が偏るとさえおもいます。

これはどちらの精神も大切だとおもいます。
「人間的に好まないけど、仕事ぶりは評価し支持する」は成立するし「人間的に好むけど、仕事ぶりは評価しないし支持しない」も成立するはずです。

「保守だから」「リベラルだから」という色眼鏡をいったん外して、個々の意見の中身を注視することも重要です。

性的搾取なく性欲を満たすこと

ここまでを振り返ると私は「私的領域で個人的に性欲を満たす権利を守りましょう」ということを強く主張しています。
私は条件付きでエロに肯定的です。

その条件というのも実に単純明快です。
それは「性的搾取しない」ということです。

「相手の合意を得ず」「相手の弱みにつけ込んで」「自身の立場を利用して」性的搾取はしないことです。
権利を侵害しない、権利譲渡を強要しない、権利を強奪しない、権利を盗まない。
それだけのことです。

「あなたと性的な話(行為)をするのは問題なく、私はそれを望みます」→「私も問題なく、それを望みます」
「今夜はOK?」→「うん、OK!」

実に明快。これなら問題ないわけです。

念のために補足しておきますが、それはもちろん法律に従ってのみです。

双方の合意があっても対価を得る目的があれば売春防止法違反、さらに未成年だと児童買春・児童ポルノ禁止法違反です。
また、相手が13歳以下なら金銭のやり取りの有無に関わらず、同意があっても強姦罪で罪に問われます。

また、相手が酩酊状態、意識混濁状態、心神耗弱状態であれば、合意があっても準強姦罪に問われる場合があります。
ちなみに、成人の単純売春に罰則規定はありません。その理由は、対価を得る側は保護の対象だと行政が判断しているからです。
取り締まりを受けるのは売春を勧誘したり助長する立場です。

要するに「今夜はホ別3(ホテル代別3万円)でOK?」→「うん、OK!」はNGです。

成人女優と成人男優が出演するアダルト作品の性行為は演技によるフィクションなので、制作会社が作品を販売するのも成人が視聴するのも許可されています。
これも私は条件付きで肯定的ですが、その条件に関しては別記事に書いています。またの機会にでも流し読みしていただけると幸いです(この記事は特に鼻息が荒いのでお恥ずかし限りですが…)

今一生氏越しに見る、おさわり募金に対する傍感

成人向けコミックもフィクションなので、TPOとゾーニングがしっかりと配慮されていれば私は寛容な立場です。

さらに個人的な好みの話をするなら、私は作品としての面白さも求めます。
私が成人向けコミックの話題に触れる際に、例としてよく挙げる「落日のパトス」という作品があります。別冊ヤングチャンピオンという成人向けコミック雑誌で連載中です(毎月第1火曜日発売)。

この作品は性的描写があるアダルト作品に該当しますが、もし仮に性的描写をすべて割愛したとしても成立するくらいストーリーや登場人物の心理描写が練り込まれています。
不倫をテーマにしているものの、恋愛の末に双方の性的接触の合意が成立しており一方的な性搾取の描写もありません。

不倫に関しては現実だと相手のパートナーに損害が発生したり、損害賠償を請求される立場となるリスクもあり、自身や相手の家庭を崩壊させる可能性があります。私は父親の浮気で母親が辛い思いをしたので、リスクヘッジの観点以外に心情的にも肯定はできません。

しかし、コミックは現実ではなくフィクションなので不倫を描くのも物語を盛り上げる「障壁」の要素として私は否定しません。

物語に登場する障壁は重要なエッセンスとなる場合があります。もし仮に、ロミオとジュリエットが互いの親に最初から恋愛を祝福されていたらなら、物語はあっけなく終了しますよね。

まぁ細かいことは抜きにして、落日のパトスはお色気に頼りきっておらず普通に作品として面白いのでおすすめです。
(1話で主人公の男性が隣人の夜の営みを覗く部分は、現実だったらプライバシーの侵害ですけど、まぁそれもフィクション内の虚構ですから…)

(公式の作品リンクを当記事に掲載したいのはやまやまなんですけど、成人向け作品なので成人の方は各自で検索してください…)

フィクションは虚構であり現実ではない

私が強調したいのはフィクションは虚構だということです。
不倫をテーマとしたフィクションを楽しむ人が、現実の不倫を肯定しているとは限りません。

不倫をテーマとしたテレビドラマ及び映画作品の「昼顔」がヒットしたときに「あれを好む女性は不倫願望があるんじゃないのか」という声もみかけましたが、必ずしもそうとは限らないです。

もし仮に内心でそういった秘めたる願望があったとしても現実で行動に移さなければなにも問題はないわけです。私は昼顔が現実になんらかの悪影響を及ぼすとはおもえません。

既婚者が斎藤工氏に内心ときめいている場合でも、私は「既婚者でも斎藤工氏に内心ときめくのはわかる」とおもうだけです。
そもそも内心の自由は国民に与えられた権利です。内心でなにを思おうが第三者や国家に侵害されることは許されないのです。

第三者の内心に介入したりコントロールしようとすることこそが危険だとおもいます。

国民が持つ自由の一つで、自らの思想が国家によって制限されないこと。日本では、日本国憲法第19条「思想及び良心の自由」によって、国民の権利として保証されている。

Weblio辞書:内心の自由

健全なエロとは

私が成人作品の話をするときに落日のパトスを例に挙げてばかりなのは、単に「今のところ私が購読している雑誌で連載しているアダルト作品と呼べそうな漫画が落日のパトスくらいしかないから」という理由もあります。

ここ最近は私が購読している週刊少年チャンピオン(毎週木曜日発売)でもエロ表現のある漫画はめっきり見かけなくなりました。
私は少年誌でも対象年齢に合わせた「健全なエロ」を扱う漫画は問題ないとおもっています。
健全なエロというのは、性的搾取しないエロでありつつ、さらに少年向けにマイルドな表現に抑えたものです。
適切なプロセスを経て適切な行為に至るのなら理想的です。

もちろん、前提として子どもが学校や社会などで適切な性教育を十分に受けられることは必須です。
世の中には多様な性文化があるのですが、まずは基礎的な性教育をしっかりと学び、成長してからそれぞれに触れてほしいと私は願います。

インターネット上には子どもに見せたくない不適切な表現の性的描写が蔓延しています。
我が子に与えた端末にペアレントコントロール設定で閲覧を難しくしても、思春期ならあの手この手を駆使して閲覧しようとする場合もあります。
性表現が不適切だったり子どもには過激すぎるという理由以外にも、アダルトサイトには振り込め詐欺などのセキュリティ的なリスクがあります。

そんなときに「ネットのアダルトサイトはリスクがあるし、こっちのほうはストーリーも練り込まれていておもしろいからおすすめしたい」といった感じで、少年向けのコミックなら代替案として提示しやすいとおもうんです。
そういった面でも少年誌に掲載される配慮されたエロ漫画に私は肯定的です。

ここまでは主に性表現に対する私の考えを書きました。

次のページでは、性表現以外についても書きます。


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